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ロシアによるウクライナ侵略戦争の、終わる兆候が見えてこない...!
と人は言うけれど、、、


わたしはこの戦争を、【世界そのものの私物化】という歴史の大きな流れが、その牙を剥いた出来事として単純に捉えている。それが不幸にも「官の領域」で起こったがゆえに、侵略戦争というもっとも暴力的な形をとってその姿を現したのではなかろうか、という風に。
今回は、なぜこうした見方 ー単純すぎると人は言うかもしれないがー を採るに至ったのか、いくつかの例を出してわかりやすく説明してみたいと思う。

……………………



人は皆、だれもが自分の出身地を持っている。そして私たちは、そのような出身地、生まれ故郷に対して抱く愛着を郷土愛と呼んでいる。この郷土愛のために、ウクライナ人たちは、自分たちの国土の正当な所有者として、侵略者であるロシア軍と戦っている。回りくどい説明が続くようで申し訳ないが、前述の【世界そのものの私物化】とは、本来であれば皆の共有物(ここでは敢えてそれを世界と呼んでおこう、あるいは公共善と呼んでもいいかもしれない)であったものが、その正当な所有者の手に預けられず(与えられず)、不当に私有(占有)されている状態のことを指す、ととりあえず定義しておこう。これを理解するための略図は以下のようになる:

〔破壊〕…私なるもの…私物…私有…所有(物)…共有…公なるもの…〔創造〕

ウクライナ戦争で想う漱石の恒久平和論_a0052229_18300991.png

なぞなぞの略図に添える、ヒントのような文章になってしまうが、これら一連の文言全体の意味は次のようになる。すなわち:《その左側に足場を持てば「世界」は破壊され、その右側に足場をもてば「世界」は創造される。また、これらの破壊と創造の間にある諸要素は、私(ワタクシ)なるものと公(オオヤケ)なるものの緊張状態の中で生成するとしておこう。ラテン語で私物を意味する「Res Privata」(私のもの)と、共和国とか共和制を意味する「Res Publica」(皆のもの・公のもの)という二つの言葉が、互いに緊張状態にある時、その間に位置する言葉は意味を持ち始める、と言ってもよいと思う。》

この略図の説明に、多少なりの説得力がもしあれば、自分たちの国土がロシアという国家によって不当に私有されることを防ぐために、いまウクライナ人たちは【世界そのものの所有物化】のために戦っている、と言えると思うのだ。「所有物化」とは変な言い方に違いない。だが、攻撃を受けている自分たちの国土を、「ここは俺たちの私有地なのだから出ていけ!」という理屈で、もしウクライナがロシアを相手にしていたなら、おそらく欧米諸国をここまで強く味方につけることは出来ていなかったに違いない。こんなことを書くと、コメディー映画ではないのだから変なたとえ話はするな、と反論される方もおられるかもしれない。が、意外にもコメディー目線で眺めたほうが、物事の本質がよりあらわになる場合もあるのではなかろうか。いずれにせよ、ある土地をその正当な所有者から永続的に奪取するためにはそれなりの大義名分が必要であろう。当然、ロシアのプーチン大統領にも、プーチン大統領のロシアにも必要になってくる。

さて、その大義名分についてだが、武力によって併合されたウクライナ国土の正当な所有者が、これからもずっとウクライナ人たちであるように我々旧西側諸国の人々(もちろん、だけではない‼)の目に映るのは、その奪われた土地への愛着を彼らウクライナ人たちが等しく共有している事実を、メディアが伝える彼らの戦いぶりを通じて、あるいは忽然と本物のヒーローに大化けしたコメディアン出身のゼレンスキー大統領の言動を通じて、我々が目の当たりにするからだと思う。この郷土愛の共有を、共時的あるいは空間的共有と呼んでおこう。この空間的共有に対抗する形でロシアが持ち出してきたのが、通時的あるいは時間的共有、すなわち歴史的にも民族的にも「俺たちはお前たちで、お前たちは俺たちだった」という、プーチン大統領の論文『ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について』だった。この「論文」の持ち出しが意味するところは明らかだろう:ロシアだって、ちゃんと分かっているのだ、自分たちが強奪したウクライナ領土をロシア領として正当に所有するために、まずは共有という概念が背後に控えていなければだめなのだ、ということを。そして、おそらくプーチン大統領は見誤ったのだ。単に、空間的に共有されているに過ぎないと思っていたウクライナ人たちの郷土愛が、じつは過去にも未来にも向く顔を持った時間的共有に支えられているという事実を。ただそこに「共にいる」だけだと思っていたウクライナ人たちが、実は、「共に有る」人たちであったという事実を。

いずれにせよ、所有という概念がものを言うのは、共有という概念がその背後に控えている時に限るのである、という一般法則のようなものがここに成り立つのではなかろうか。今一度、略図を観てほしい。もし成り立つのであれば、ついでに、ひとつ注意を促したいことがある。それは、この戦争が「時間対空間の(代理)戦争」だということである。歴史、すなわち時間の蓄積の重みを引き合いに出したつもりが、実質的には【空間】しか味方につけることのできないプーチン大統領のロシアに、最終的な勝利が訪れるとは思えない。また、報道で見聞きする限り、ウクライナ領土に進軍したロシア兵たちを、ただそこに「共にいる」だけの兵士と形容するのは、当たらずとも遠からずなのではなかろうか。翻って「共に有る」からこそウクライナ兵たちの士気は高い。高くて当然だと思う。共に有る状態に自らを置いている、あるいは置かざるを得ないのだから、少なくとも今のウクライナ国民は。戦争勃発当初から藤原帰一氏が、ロシアに勝ちはあり得ないと断言していたのは、単に軍事力や経済力の優劣だけが頭の中にあってそう言ったのではないと思う。ウクライナのほうにより多くの未来が、時間の重みが、すなわち【共有(トモニアル)】が国内にも国外にも備わっている、そう観えたのではあるまいか?最近よく聞くようになった「シェアリングする」という意味での共有とは異なる、別次元の共有の存在に気付いていたからこそ出てきた彼の発言だったのではなかろうか。

話があらぬ方角へズレてしまった。本筋へ戻るため、すこし舞台を日本へ移してみよう。
例えば、埼玉県の狭山丘陵にある原山林が、『トトロの森』として保全されていることを、皆さんの多くも知っておられるはず。もしこれを、【私有という概念に支えられた所有】を防ぐために、【共有という概念に支えられた所有】で森の保全を図る運動と捉えることができるのなら、上にわたしが述べた「ウクライナ人たちは【世界そのものの私物化】に対抗して、その所有物化のために戦っている」云々の意味が、少しは明らかになってくるのではないか。つまり、所有には大きく分けて二つの種類、形態があるということ:私有のための所有がひとつ、そしてもうひとつが共有のための所有。ちょうど、共有にも公(オオヤケ)なるものに支えられたトモニアル共有と、所有という概念に支えられたシェアリング共有が、先の例にもあったように。今は、このことを頭の片隅に留めておこう。


…………

冒頭、わたしは【世界そのものの私物化】が戦争という形をとって現れたのは、それが「官の領域」で起きたからだと述べた。では、もしそれが「民の領域」とでも呼ぶべき場所で起きていれば、それはどんな形で現れていただろうか?

この問いに答えるため、まず「官」と「民」という二つの領域の違いを手短に説明してみよう。多くの人と同様、わたしも第一義的に、前者を政治(政党や公人)による社会活性化のための仕掛けの総称、そして後者を経済(民間企業や私人)による社会活性化のための仕掛けの総称という風に区分している:大枠を決め、ルールを決め、罰則を決める「官」と、その枠内に留まるならば原則何をしても自由な「民」という風に。他にも様々な定義の仕方があると思う。また、第二義的に、「官」がその影響力を行使できるのが原則的には公(オオヤケ)なるものに対してであり、「民」がその影響力を行使できるのが原則的には私(ワタクシ)なるものに対してであるとしておこう。「原則的に」という補足が付くのは、実際はそうではないからなのだが、その問題については後述することにしよう。そして、最後に、より深い第三義的な意味で、力(チカラ)というもの一般を、「権力」と「金力」というふたつのチカラに代表させた夏目漱石に倣い、わたしは「官」を【(政治)権力による強制力が統治、もしくは支配や、支配の手段としての威圧を生み出す領域】、そして「民」を【(資本)金力による誘惑が人心の(ひいては社会全体の)活力、もしくはその搾取や、搾取の手段としての腐敗を生み出す領域】と定義してみたい。

この最後の定義の中で、「もしくは」の前に置かれたものと、後に置かれたものとでは中身が全然違うということに、すでにお気づきの方も多いと思う。つまり、「官」に出来ることと、「民」に出来ることは、大きく分ければ二つあり、「官」の領域で常に問題になるのが、果してそれは統治に資するのか、それとも、単に威圧して支配するに堕ちることはないのかということである一方、他方の「民」の領域で常に問題になるのが、果してそれは社会全体の賦活に資するのか、それとも、まずは腐敗させ、その後搾取に都合の良い社会を形成するに堕ちることはないのかということなのである。というのも、同じ「官」であっても統治権力と支配権力は、その本質において全くの別物だからである。同様に、同じ「民」であっても、真に活性化している社会と、賑やかで華やかなようで実は搾取が行き届いてしまっている社会との間には、やはり大きな隔たりがある。先ほど、わたしはこのウクライナ戦争を「時間対空間の(代理)戦争」と形容したが、より具体的に「統治権力対支配権力の戦争」と言い換えることもできると思っている。しかし、それは視点を「官」の領域に限った時の話である。もし「民」の領域にも話を広げれば、次のように言い換えることもできるのではなかろうか。すなわち:この戦争は「賦活金力対搾取金力の戦い」でもある、と。これを略図で示すと以下のようになる:

ウクライナ戦争で想う漱石の恒久平和論_a0052229_00124025.png


この二番目の略図(分かりにくかったら申し訳ない!)が、わたしなりの、いわゆる「官」と「民」の違いの説明なのだが、ウクライナ戦争に代表される、「世界の危機」と呼べるような事態が多発している今日、青い矢印で示した線(困難な道=社会の活性化を表す)が非常に弱体化し、赤い矢印で示した線(安易な道=社会の停滞化を表す)が勢いを増している、というのがこの世界を眺める際、わたしが採っている基本的な視座なのである。公私混同という言葉は誰でも知っている。だが、官民混同という言葉はあまり聞いたことがない。ガバメントならぬガバナンスという言葉は聞いたことがあっても。同様に、私たちは「権力」という言葉はよく耳にする。しかし、日本の国民的作家である漱石が『私の個人主義』という有名な講演で用いた「金力」という言葉を、なぜか私たちはほとんど耳にしない。何故なのだろう?何故、「権力」という言葉は生き残り、「金力」という言葉は歴史のごみ箱の中に葬り去られたのであろうか?私見だが、おそらく「金力」のチカラのほうが「権力」のチカラより強いからである。「権力」すなわち「官」は弱いからこそ自身の姿を晒し続け、「金力」すなわち「民」は強いから自身の姿の隠形に成功する。同じく、ガバナンスも、自身の姿を隠形させて社会に浸透していく。違うだろうか?官尊民卑の伝統が色濃く残っていると言われる日本で、「民」のほうが「官」より強いとはどういうことかと反論を受けそうだが、それは権力としての「官」がまさに支配権力に堕している状態であり、尚且つ金力としての「民」も搾取金力に堕していることを表現したものに過ぎない、つまり前者が「公なるもの」に働きかけず、後者が「私なるもの」に諮らない結果、個人が消滅してしまう状態を表現したものに過ぎない、とわたしは思っている。この謂わば自然状態における、権力の金力に対する弱さを補強するのが、先にも少し触れたように、歴史を通じてずっと「官」の役割だったのだろうと思われる、国家の中に社会を生じさせるために。突然ホッブズの政治哲学のような展開になってしまったが、ロシアのウクライナ侵攻や、現在の習近平下の中国共産党が、台湾への武力侵攻を画策していることは、単純な話、世界規模で国際的な「社会状態」が「自然状態」に堕ちつつあることを示しているに過ぎないと思う。これを『ますます厳しくなる安全保障環境の変化と防衛力強化の必要性』というワーディング(あるいはターム)で日本政府は語っているが、この視野の狭い必要性で終わる結論では、そもそも権力とはいったい何なのだという根源的な問いが、市井に生きる私たちからますます遠ざけられてしまうのではなかろうか。もしそうであるならば、これは厄介な問題だと思う。恐らくこのような、物事の本質を見失うカオスの時代は、これからさらにひどくなる可能性がある。「民」の領域でも間違いなく起きているに違いない、とわたしが思っている【世界そのものの私物化】に何らかのメスを入れない限り。軍備増強による対策の限界はここにある。その増強された軍備、本当に統治権力が支配権力の横暴に立ち向かうためだけに準備するのか?すでに搾取金力の言いなりになっているようにも見える「官」が、本気で支配権力に立ち向かう気概はあるのか?軍備増強が発端となる増税措置で、社会を賦活させる金力をますます弱らせる結果を招く危険性はないのか?こうした一連の疑問が否応なく浮上してくる。だからこそ、チカラというもの一般を、「官」である権力と「民」である金力とに代表させ、尚且つ権力も金力も所詮は道具に過ぎないのだと見抜いた夏目漱石と共に、あらためて世を眺めてみる必要性が出てきている、とわたしは思うのである。こちらの高踏的な必要性のほうが、目先の足元ばかりに目が行きがちな防衛力強化の必要性より、実は遥かに喫緊性が高いものかもしれないのだから:日本という国家がいま必要としているのは、外堀や外壁の補修・強化ではなく、内壁や柱の腐食対策かもしれないのだから。

(さて、話は途切れるが、ここで少し前に言及した、『「民」が搾取金力に成り下がることで、「私なるもの」に諮らなくなる』とはどういうことかを説明しておきたい、ピンとこない人のために。私たち民主主義国に暮らす住人は、公の人である裁判官を罷免する権利や、同じく公に属する代議士を選挙で選ぶことができるとされている。だが、もうとっくの昔から生活主体としての国民主権は、企業連合や利益団体に丸投げされているようにわたしには見える。人の健康よりも利益・効率優先の生産供給体制が(特に食物関連の)市場で支配的になっているのはそのためだろう。また以前、それほど遠くない過去にスズキ自動車の鈴木修会長が発したとされる『その装備、本当に必要なの?』という発言は、「民」が「私なるもの」の真の要望を聴いてこなかったことへの反省が、ぽつりと出てきた言葉に他ならないと思うのだが、どうであろうか。)

............


【世界そのものの私物化】が「民の領域」とでも呼ぶべき場所で、もし起きていれば、それはどんな形で現れていただろうか?という問いに答えるための準備は、一先ずこれで済んだことにしよう。これまでの話を簡略に要約すると:権力が統治権力になる努力を、自身の守備範囲である官の領域、すなわち「公なるもの」の領域において怠った結果、ただ単に他(もっぱら私人としての個人・個体)を威圧して支配するのみの支配権力に堕ち、従わない者どもには武力の鉄槌を下す。これが、現時点の、独裁国家と呼ばれる国々の実態であろう。しかし、である。チカラには大きなものがもうひとつある。しつこいようだが、金力である。そして権力や金力が持ちうるチカラの危険性に早くから敏感であり、警告を発してきた人々の中に、恐らく漱石がいた。


…………



1914年の秋、学習院で催された講演『私の個人主義』の前半で、漱石は自分の半生を振り返り、あやふやな態度で世の中と関わってきた自分に、常に漠然とした空虚感が付き纏っていたことを告白する。長い文章だが、ここへ引用しよう:

『…… 私はそんなあやふやな態度で世の中へ出てとうとう教師になったというより教師にされてしまったのです。幸いに語学のほうは怪しいにせよ、どうかこうかお茶を濁して行かれるから、その日その日はまあ無事に済んでいましたが、腹の中は常に空虚でした。空虚ならいっそ思い切りがよかったかも知れませんが、なんだか不愉快な煮え切らない漠然たるものが、至る所に潜んでいるようで堪まらないのです。しかも一方では自分の職業としている教師というものに少しの興味ももち得ないのです。教育者であるという素因の私に欠乏している事は始めから知っていましたが、ただ教場で英語を教える事がすでに面倒なのだから仕方がありまあせん。私は始終中腰で隙があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。…… 』

この空虚感の根っ子に、自分がずっと他人本位で生きてきた事実があることに、漱石は留学先の倫敦で気づく:

『…… 私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、あとからその品評を聴いて、それを理が非でも、そうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。……』

つまり、自分自身の舌を使って世の中を味わうことをしてこなかったと、こう漱石は告白する。そして、そのような「人真似」や「他人本位」を頑なに押し通していては、『世界に共通な正直という徳義』すらおぼつかなくなると彼は言う:

『…… たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとか云っても、それはその西洋人の見るところで、私の参考にならん事はないにしても、私にそう思えなければ、とうてい受売りをすべきはずのものではないのです。私が独立した一個の日本人であって、けっして英国人の奴婢でない以上はこれくらいの見識は国民の一員として具えていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。……』

話が少し逸脱するが、ウクライナ戦争が始まった当初、日本メディアの取材に応じたガルージン元駐日ロシア大使の応答の様子を見て、独裁国家と呼ばれる国々から諸外国へ派遣され、大使などの肩書で自国を代表する任を負っている駐在官たちは、恐らく皆例外なく、指導部の、「人真似」ならぬ「物真似」たちなのだろうと私は確信した。まず間違いなく、日本のみならず、ベトナムでもタイでもブラジルでも、世界中のどの国においても、ロシア大使や中国大使たちは、個人としての自己はおろか、私人としての自己でさえも、公人としての自己に完全に奉仕させられるように造られている。これを、組織人と呼ばず何と呼べばよいのか、わたしは知らない。そして、この組織人に完璧に欠落しているように見えるものが、先の漱石の言葉にあった『世界に共通な正直という徳義』なのではないかとわたしは思うのである。組織人の頭の中を解剖すると、漱石の言葉はこんな風に変態してしまっているのかもしれない:『世界に共通な服従という徳義』へと。他への服従が専らな人間を造るのは、恐らくそれほど難しいことではないのであろう。まず、人間を内的に二分し、そのどちらか一方を命令する側に固定し、もう片方をその命令を受ける側に固定しさえすればよいのだろうから。つまり、内的な分割を自ら進んで受けるものから、外的な支配を甘受するようになる。その逆ではなく。斯くして、先ほど、官尊民卑という言葉が示していた、とわたしが思っている個人消滅の問題に、もし「官」バージョンがあるのなら、最近日本のメディアを賑わした反社会的セクト(旧統一教会)の問題は、その「民」バージョンといったところか。どちらも、漱石の言う自己本位に拠って立つ個人の出現を阻む努力においては同類の貉であろうから。

逸脱はさらに進むが、皆さんはガンダムSEEDという、第一期と第二期から成り、合計100話近くにも及ぶ、戦争を題材にしたアニメ作品をご存じだろうか?この作品でとても面白いと私が感じたのは、第一期でも第二期でも、必ず表の主人公と裏の主人公が存在する点だった。第一期の表の主人公の名はキラ・ヤマト。第二期の表の主人公の名はシン・アスカ。どちらも日本の歴史上の名前に由来している:大和(ヤマト)朝廷に飛鳥(アスカ)文化。だが、このアニメの真の主人公はアスラン・ザラという青年である。何故なら、全ストーリーを通じてクローズアップされて描かれているのが、軍隊に所属し、まさに組織の人であった自分自身から、徐々に距離を取り、社会の人へと成長する彼の姿なのだから。そのアスランが、自軍とは関係ない戦闘行為に遭遇し、自らの立ち位置を新たにした時、次のようなセリフを放つ:『この介入は俺個人の意思だ!』。この言葉に、わたしは真の個人と、その名に恥じない社会が、同時発生した瞬間を、ガンダムという卑近なアニメ作品を通じて観たつもりなのだが、どうであろうか。映画やアニメの中などではなく、実世界の中で大規模な戦争の足音が聞こえる今、見て損はない作品に仕上がっているとわたしには思えるのだが...。

いずれにせよ、先のガルージン大使が、21世紀のロシアで持てない個人の意思を、漱石は20世紀初頭の日本で持つことができた。どうしてこんな事態になったのか、まさに神のみぞ知るというところなのだろうが、畢竟するに、前者は大使という形で自身のロシア人であることを全うする道を選んだが、結果的には組織人であることを内外に曝すことになった。翻って後者は、個人であることと社会人であることが、自己本位という四字の中に同居してあることを発見し、それを全うする道を選んだ結果として、時間はかかったものの、ゆるぎない名声という形で結果的に(En effet) 日本人になった。わたしにはそう見える:

『…… 何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。……』

個人の意思を持つ、あるいは持たない代償とは、実はこれほどのものなのである。もちろん、漱石に大学の教師や小説家という形がなかったわけでもないし、ガルージンが組織人になったからといってロシア人であることを止めるわけでもない。だが、不誠実で非正直な個人とは、純粋な語義矛盾であるということは、皆さんにも納得のいくことだと思う。この似て非なる「個人」を、あたかもその名に恥じない個人であるがごとく取り扱わなければならない昨今のメディア業界の苦労及び疲労も(愉悦及び皮相も、とは思いたくないが)、私たちの時代を生きにくくしているような気が個人的にはするのだが、どうであろうか。個人(individu)というものは、何と共に、また誰と共に個体化(individuation)するかによって、その性質が全く異なるものになるのだから:組織人となって公私混同に与するに傾くのか、それとも個人となって「私なるもの」と「公なるもの」の間に緊張関係を紡ぐに傾くのか、このどちらかの傾向しか選択肢はないのではないか。ガンダムSEEDの中で、アスランは自分の(元)婚約者であるラクス・クラインから『アスランが信じて戦うものは何ですか?頂いた勲章ですか?[自軍の最高司令官でもある]お父様の命令ですか?』と静かに詰め寄られる。そして、勲章や命令と個体化する組織人のままであるならば、自由を守るために戦っているキラやラクスとは袂を分かつことになると告げられる。


…………

話を本筋へ戻そう。ちょうど、ガンダムSEEDのアスラン・ザラが、組織人(上からの命令に単に従うだけの軍人)から社会人(自分自身の舌を使って世界を吟味する軍人)へ転向するように、漱石も他者本位で動いていた自己から、自己本位で動く自己へと転向する:

『…… 私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。……』

漱石が、自己本位で歩む人生の大切さを何故これほど強く、当時の学習院の学生たちを前に説くのかといえば、それは彼も言うように、自分と同じように『始終中腰』で生き、『不愉快な煮え切らない漠然たるものが、至る所に潜んでいる』ような感覚を、聴衆である学生たちもいずれ経験する日が来るに違いないだろうと踏んでいるから:

『…… もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申し上げるのです。もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏み潰すまで進まなければ駄目ですよ。[………] 私は忠告がましい事をあなたがたに強いる気はまるでありませんが、それが将来あなたがたの幸福の一つになるかもしれないと思うと黙っていられなくなるのです。腹の中の煮え切らない、徹底しない、ああでもありこうでもあるというような海鼠(ナマコ)のような精神を抱いていてぼんやりしていては、自分が不愉快ではないかしらんと思うからいうのです。……』

普通、人というのは、何らかのある組織に属し、そこで何らかの役割を担って始めて社会人という自負を持つものではなかろうか:それが軍という組織であれ、会社という組織であれ、またスポーツ選手にとっての○○○協会という名の組織であれ、常にそのような組織や団体を通じて社会全体とかかわりを持ったときにのみ、人は自分自身を社会人と見做すのではなかろうか。(もっともマフィアなどの微妙な例外がないわけではないが。) また、仮に引退して組織から身を引いた人間であっても、その社会の骨格を成す何らかの組織ー例えば年金制度などーに守られているのだから、組織の外側で生きることなど、事実上不可能であろう、と。確かにその通りだ。だが、そのようなー少し表現は悪いがー「受動的な自立」で満足していては、ナマコになって不愉快な毎日を送ってしまう危険性があるのだ、そう漱石は己の経験に照らして主張しているように見える。別の言い方をすれば、人々がいくら組織に属してみたところで、そこに、その言葉の真の意味での個人が、すなわち社会が生まれない限り、そこには一筋の光も差して来ず、いつまで経っても『霧の中に閉じ込められた孤独の人間』が集まる場所に過ぎない、とこう漱石は断じているのである。ここに、彼の言う個人主義が、社会と同時に生成するもの、つまり本物であって、『自分だけを、権力なり金力なりで、一般に推し広めようとするわがまま』とは全く異質のものであることが知れるのである。だからこそ、『…… 私共は国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもあるのであります』と彼は言う。そんなことは、当たり前だという人も多くあるかもしれない。しかし、生きる幸福を「自分のもの」とするためには、漱石の言うように、自分の鶴嘴で掘り当てるところまで突き進まなければ駄目だよという人は、21世紀の今日でも、というか21世紀初頭の今日だからこそ少ないのではなかろうか。自然の一部を成しがちな組織に属することが、人工物から成る社会を構成することと分別なく理解されがちな今日においては特に。(この最後の点については、来る三つ目の略図を参照して下さい)


............


さて、講演『私の個人主義』の前半において、「他者本位」から「自己本位」へと転向することが、人の幸せには絶対不可欠であることを説いた漱石は、その後半で、いま捨て去ったばかりだと思われた「他者(他人)本位」という四字に別の意味を付与する。つまり、単に『他人の尻馬に乗って騒ぐ』程度のものを示していたに過ぎないこの四字が、後半においては、発見されたばかりの「自己本位」という文字と完全な対等関係に位置づけられ、他者には他者の本位があるという風に解釈される。そして、この完全な対等関係の均衡を破壊する危険因子を持つものとして、漱石は真っ先に「権力」と「金力」を挙げるのである:前者が濫用に流れるとき、それは『自分の個性を他人の頭の上に無理矢理圧しつける道具』となり、後者が腐敗に堕ちるとき、それは『人間の徳義心を買い占める、すなわちその人の魂を堕落させる道具』となる、だから『恐ろしいではありませんか』と。要するに、繰り返しになるが、権力も金力も漱石の眼には馬鹿とハサミの延長線上にあり、その正しい使いようが肝心だ、と彼は言う:

『…… 近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては豪も認めていないのです。いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。我々は他が自己の幸福のために、己の個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのであります。私はなぜここに妨害という字を使うかというと、あなたがたは正しく妨害し得る地位に将来立つ人が多いからです。あなたがたのうちには権力を用い得る人があり、また金力を用い得る人がたくさんあるからです。……』

斯くして、自己本位と他者本位との完全に平等な緊張関係の中に、人が幸福になるための必要条件を見出した漱石は、その緊張関係の中に留まって始めて、権力なり金力なりといったチカラを発揮する権利が与えられるのだと説く。権力の場合、その関係としてのチカラは、己に対する義務という形をとり、金力の場合であれば、それは他者に対する責任という形をとりながら:

『…… 今までの論旨をかい摘んでみると、第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。つまりこの三カ条に帰着するのであります。……』

個性の発展に作法があるように、権力や金力の使用法にも作法がある。こう言われてみると、なんだ大したことはないじゃないかと思われるかもしれないが、権力を「官の存在形態」に、そして金力を「民の存在形態」に置き換えてみるとどうだろうか。官が主導し、民がそのお導きによって追従するイメージが、この国に独特な官尊民卑の「伝統」を根付かせてきたのかどうか、わたしには知る由もないが、本来「官」には官特有の難しさ、すなわち偉(エラ)さが、そして「民」には民特有の難しさ、すなわち豪(エラ)さが、実際、事実として備わっていたのかどうかは別として、備わっていると歴史的には考えられてきたのではなかろうか(二つ目の略図では、これらふたつのエラさを難という文字で表現してみた)。いずれにせよ、講演の最中、漱石は自分の発言内容が、決して個人的で安易な領域に留まらないことを強調し、個性発展の作法と権力金力行使の作法は、あたかも表裏一体のごとく動くものだと論じている:

『…… 先刻申した個性はおもに学問とか文芸とか趣味とかについて自己の落ちつくべき所まで行って始めて発展するようにお話致したのですが、実をいうとその応用ははなはだ広いもので、単に学芸だけにはとどまらないのです。……』

つまり、人の個性の問題は、単にある人間の性格や好みの話にとどまらない、より大きな社会的な影響力がついて回るのだと、こう漱石は述べる。そして、この影響力の大きさを見極めるだけの見識を身につけることを、彼は『人格の支配を受ける』という一言で表す。そしてこう続ける:

『…… もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他(ひと)を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。ずいぶん危険な現象を呈するに至るのです。……』と。

加えて、漱石はこの危険な現象に自らを晒すことを「自分自身に済まない」、社会全体を晒すことを「世の中に済まない」と形容する:

『…… 自分は今これだけの富の所有者であるが、それをこういう方面にこう使えば、こういう結果になるし、ああいう社会にああ用いればああいう影響があると吞み込むだけの見識を養成するばかりでなく、その見識に応じて、責任をもってわが富を所置しなければ、世の中にすまないと云うのです。いな自分自身にもすむまいというのです。……』

つまり、行使するチカラが金力のそれである場合、己の見識はまず社会に向けられ、その社会に対する責任という形で己の個性が発展して行かなければ社会に対して済まない。ということは、同時に自分自身に対しても済まない。富を所有することに伴う責任の観点からこのように述べた漱石は、事実上次のような言い分にも同意するはずである。すなわち:行使するチカラが権力のそれである場合、己の見識はまず自分に向けられ、その自分に対する義務という形で己の個性が発展して行かなければ自分自身に対して済まない。ということは、同時に世の中、すなわち社会に対しても済まない、と。ここに、自分と他者一般すなわち社会とを同時に犠牲に「してはいけない」というネガティブな形での、漱石の人格支配論が見てとれる。自己犠牲(『自分にもすむまい』)も他者犠牲(『世の中にすまない』)も避ける必要があるのだ、という風に。ちょうど、前述の三カ条の第一条に、人々が各々の個性を互いに発展させたければ、まずは各々の個性を互いに尊重「しなければならない」というポジティブな形があったように。この犠牲を互いに避け合うネガティブな緊張関係と、尊重を互いに認め欲し合うポジティブな緊張関係を十文字に模式化したものが次の三番目の略図である:



ウクライナ戦争で想う漱石の恒久平和論_a0052229_01161406.png


さて、この三つ目の略図なのだが...。ごちゃごちゃと雑種多様なものが入り混じって見えるが、まず座標のX軸には互いの本位を共に尊重し合うという他者本位/自己本位の緊張関係を、そしてY軸には互いの犠牲を共に避け合うという自己犠牲/他者犠牲の緊張関係が描かれている。解りやすく出来ていれば幸いだ。これまで見てきたように、漱石は他者本位で生きることをよしとせず、自己本位で生きることを学生たちに訴えてきた。例えば、あまりにも他者本位が極まり、尚且つ同時に自己犠牲も極限まで行くと、今日、というかもうずっと以前から社会問題化している社畜とか過労死などの現象が生じる。また、自己本位が大暴走し、尚且つ同時に大勢の他者の人生を顧みず、その犠牲も極限まで行くと、そこには暴君とか独裁者という人たちの影が揺れはじめる。この略図で言えば、前者は苦と苦が重なる場所に釘付けにされ、後者は楽と楽が重なる場所に陣取っている。しかし、である。この楽と楽が重なる場所に居座っている、当のご本人たちは、自分たちの頭の中では皆例外なく公の人である。独裁者とは他者本位の名の下に、自己本位を極端に推し進め、自己犠牲の名の下に他者に犠牲を強いる政治を行う私人である。独裁政治を行う政治家が、その言葉の真の意味における公人ではないのは、今回のプーチン大統領の振る舞いを見れば一目瞭然であろう。ならば、『その応用ははなはだ広いもの』であり、その取り扱いを誤れば『ずいぶん危険な現象を呈する』人の個性といういものに関する漱石の三カ条の有効性を、今日ほど再認識せねばならない時代も珍しいのではないか。しつこいようで申し訳ない。だが、公人(オオヤケビト)として振る舞う、沈着な面持ちが得意な政治家の多くが、馬脚を露すと言っては何だがじつは大根役者で、私人(ワタクシビト)を代弁する喜劇役者が、実は一流の政治家だったなんて時代なのだから、今は。


…………

人の自然が、常にすでにある一定な程度において社会的なのは、人の自然と人の社会が同時に生成されるからであろう。その上で、どちらか一方が他を圧倒するということが起こらない状態で、自然が社会に開かれつつそれを統合し、且つ又、社会も自然に開かれつつそれを統合してきたのが人の社会の歴史と言ってもよろしいかと思う。1911年の初夏、長野の県会議事院で催された講演『教育と文芸』の中では、文学の二大潮流としての自然派とロマン派の互いに拮抗する様子が、漱石によって巧みに描写されている。文脈上の制約から、三つ目の略図の上部にわたしは自然に由来する人を組織人、社会に由来する人を社会人として置いてみたが、人の二面性を解りやすく把握するためのものとして、前者(組織人)と後者(社会人)をそれぞれ漱石のいう自然主義派とロマン主義派に重ね合わせて読むこともできると思う。かなり長い文章だが、両者の拮抗する様子を漱石がどう描いているか、ここへ引用しよう:

『…… ローマンチシズムの芸術は情緒的エモーショナルで人をして偉く大きく思わせるし、ナチュラリズムの芸術は理智的で、正直に実際を思わしめる。すなわち文学上から見てローマンチシズムは偽りを伝えるがまた人の精神に偉大とか崇高とかの現象を認めしめるから、人の精神を未来に結合さする。ナチュラリズムは、材料の取り扱い方が正直で、また現在の事実を発揮さすることに勉るから、人の精神を現在に結合さする、例えば人間を始めから不完全な物と見て人の欠点を評したるものである。ローマンチシズムは、己以上の偉大なるものを材料として取り扱うから、感激的であるけれども、その材料が読むもの聞くものには全く没交渉で印象にヨソヨソしい所がある、これに引き換えてナチュラリズムは、如何に汚い下らないものでも、自分というものがその鏡に写って何だか親しくしみじみと感得せしめる。能く能く考えて見ると人というものは、平時においては軽微の程度におけるローマンチシズムの主張者で、或者を批評したり要求するに自己の力以上のものを以てしている。
 一体人間の心は自分以上のものを、渇仰する根本的の要求を持っている、今日よりは明日に一部の望みを有するのである。自分より豪いもの自分より高いものを望む如く、現在よりも将来に光明を発見せんとするものである。以上述べた如くローマンチシズムの思想即ち一の理想主義の流れは、永久に変ることなく、深く人心の奥底に永き生命を有しているものであります。従ってローマン主義の文学は永久に生存の権利を有しております。人心のこの響きに触れている限り、ローマン主義の思想は永久に伝わるものであります。これに反してナチュラリズムの道徳は前述の如く、寛容的精神に富んでいる。事実を事実としてありのままを描いたものが、真のナチュラリズムの文学である。自己解剖、自己批判、の傾向が段々と人心の間に広まりつつあり、精神が極めて平民的に、換言すれば平凡的になって来たのであります。人間の人間らしい所の写実をするのが自然主義の特徴で、ローマン主義の人間以上自己以上、殆んど望んで得べからざるほどの人物理想を描いたのに対して極めて通常のものをそのまま、そのままという所に重きを置いて世態をありのままに欠点も、弱点も、表裏ともに、一元にあらぬ二元以上にわたって実際を描き出すのであります。[……]
 さてかく自然主義の道徳文学のために、自己改良の念が浅く向上渇仰の動機が薄くなるということは必ずあるに相違ない。これは慥かに欠点であります。
 従って現代の教育の傾向、文学の潮流が、自然主義的であるためにボツボツその弊害が表れて、日本の自然主義という言辞は甚だしく卑しむべきものになって来た。けれどもこれは間違いである。自然主義はそんな非倫理的なものではない、自然主義そのものは日本の文学の一部に表れたようなものではなく、単に彼らはその欠点のみを示したのである。前にも言った通り如何に文学といえども決して倫理範囲を脱しているものではなく、少くも、倫理的渇仰の念を何処にか萌さしめなければならぬものであります。……』

引用した箇所を意訳すると...:人には、ということは人の諸問題を扱う文学には、大きく分けて二つの傾向がある。ひとつは、事実を構成する諸々の材料をありのままに描き、人の精神を現在に落ち着かせる理智的で感得的な自然主義の傾向。もうひとつは、事実を構成する諸々の材料をありのままにではなく、多少の嘘も織り交ぜてその偉大性や崇高性を描き、人の精神を未来へ向かわしめる理想的で感激的なロマン主義の傾向。斯くして、下から正直な材料を正確に組み立てて世界を見ようとする平民的精神を持った自然派には、寛容的精神が備わるようになるが、上に人間以上自己以上の材料を掲げて世界を見ようとする貴族的精神を持ったロマン派には、自分を向上させようとする心や、社会をより理想的な姿に近づけようとする心が涵養されてくる。さて、昨今、人になんらかの努力を求める精神の希薄な自然主義の弊害が、人をして自分の足元ばかりに注意を向かわしめる現代教育の傾向や現代文学の潮流を通じて、徐々に世の中にも意識されるようになってきたが、それは自然主義本来の姿ではない、それは自然主義の考え方のごく一部をその全体と混同した日本の一部の文学者の曲解の結果である。自然主義には自然主義に独特な倫理がある。そしてその倫理は、自分以上人間以上のものを渇仰することが本来の業務であるロマン主義の要求を離れて存在するものでは決してないのである。だから、平民を自任する自然派にも貴族的な感激的精神がどこかに芽生えているし、貴族を自任するロマン派にも平民的な感得的精神がどこかで働いているのだ、...という風になるだろうか。

そして漱石は、この講演『教育と文芸』の最後を次のように締めくくる:

『この二者[ローマン主義と自然主義]は密接なる関係を有して、二つであるけれどもつまりは一つに重なるものと見てよろしいのであります。故に前申した通り[ロマン派と自然派という二つの側面からなる]文学と[同じく、人を奮起させる感激的な面と、科学上の真を追求する面を併せ持つ]教育とは決して離れないものであるのであります。』

文学の新しい潮流の名の下に、人(社会)の理想、人(社会)の夢を放棄するようなことがあってはならない、何故なら文学と教育とは決して離れて存在し得るものではないのだから。恐らくこれが長野の県会議事院で漱石が最も訴えたかったことだったのだろうと思う。であれば、講演『教育と文芸』(1911)において、ロマン主義と自然主義が互いに密接な関係を構築するにあたり、謂わばその条件として教育と文学も互いに緊張関係(すなわち、互いに対立する二つのものが一つになるのではなく、一つに重なるような関係)にあらねばならぬことを説いた漱石は、歳月下ること三年、講演『私の個人主義』(1914)において、自己本位と他者本位が、互いにポジティブな関係を構築するにあたり、謂わばその条件として自己犠牲忌避(『自分に済まない』ことは避ける)と他者犠牲忌避(『社会に済まない』ことは避ける)もまた互いに緊張関係にあらねばならぬことを説いた、と言えるのではなかろうか。ならば、これはじつは同じことを、それぞれ属する領域は異なるものの、手を変え品を変え述べている(に過ぎない)のではないか?という素朴な疑問が浮上してくる。


…………


『恒久平和論』と聞けば、多くの人は有名なカントのそれを思い浮かべるのではなかろうか。だが、漱石の思想には、世界がより平和に、人々がより活き活きと生きるためには、人と人との間に、ということは結局国と国との間に、実際問題として一体何がなければならないのかという問いが、すなわち彼なりの恒久平和論がずっと燻っていたように思えてならない。今回の記事を書き残すにあたって、題を『ウクライナ戦争で想う漱石の恒久平和論』としたのは、民主主義と称される国々が、如何に自国において、その第一原則である法の精神(法の支配ではないですよ!)を、官=権力の暴走を防ぐ三権分立という装置や、四つ目の権力とされているメディアによる監視によって保証させていても、その自国由来の民=金力の暴走は抑えることがじつは出来ていないと直感したからなのだ:たしかに西側諸国においては、民主主義の権力版はソコソコ機能してきたのかもしれないが、その金力版が欠如しているのだから、話は元の木阿弥になってしまっているということなのだ。ロシアのプーチン大統領、およびその取り巻きによる官=権力の暴走(つまり軍隊という実力組織の闇雲な動員)をクローズアップして見るなら、いわゆる西側の民主主義陣営に属する国々の中にある、民=金力の暴走も同様に見ねばならないのではなかろうか。


先にも見たように、金力はその使い様によっては、『人の魂を堕落させる』危険な道具になると漱石は警告していた。これを、今日の文脈に当てはめて言えば、民=金力はうまく使えば、多くの人々が社会の中で、個人として、真に自己本位に生きる可能性を持てるにもかかわらず、実際にうまく使われてはいないが故に、主観的には自己本位で、誰にも、すなわち自分にも社会にも、迷惑をかけずにこの世に受けた生を全うして生きているようで、その実客観的にはどこから見ても、悪い意味での他者本位で、自分にも社会(他人)にも済まない『始終中腰』な生き方を強いられている人々が大量生産されている、ということなのだろう。斯くして、搾取を目的にした腐敗の大海原に投げ込まれた人々の、ウラミ・ツラミ・ネタミ・ヒガミが蔓延する世の中が出現する。金力のチカラが生んだこの精神的痛苦の四重奏曲とその爆発的エネルギーが、いまや人々をして、たとえばアメリカやブラジルでは議会を襲撃させ、ドイツではクーデター未遂を起こさしめた。そして、そんな負のエネルギーと決して無縁ではない形で、日本では安倍元総理が凶弾に倒れた。この金力の、他を、とりわけその脳をまずは腐敗させ、次にその腐敗(つまり腐った脳)をテコに、ありとあらゆる富を搾取する金力の影が、いまや政治権力の中枢にまで及んでいる。マインドコントロールとは、結局そういうことではないのか。世に名高い、ポピュリストと形容される政治家たちは、どこかで無意識にこの金力に抗いつつも、そのチカラの影響圏内から己を、集団的にも個人的にも離脱させることができないままであるように見受けられる。当のご本人たちはまず第一に権力の依り代であるにもかかわらず:彼等の多くもまた、権力と金力が『密接なる関係を有して、二つであるけれどもつまりは一つに重なるもの』ではあっても、それらが決して一つのものではないことが十分理解出来ていないようにも見受けられる。ちょうど、少し時代は上るが、卑近な例で言えば、小泉元首相が電事連の原発推進派に、原発の安全性について騙されていたと告白し、原発(すなわち金力のチカラの影響圏内からの離)へと舵を切っていったように。また、権力の側だけでなく、金力の側からも権力の側に向かって、プーチン大統領の論文『ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について』よろしく、金力と権力の謂わば同根一体説への誘導行為が、陰に陽に為されているのかもしれない。そんなお誘いの辿り着いた哀れな姿のひとつが、たとえば旧統一教会という名の集金マシーンの、政治権力中枢への自己浸透だったのかもしれない。この権力と金力が手に手を取り合って、『二つである』ことを忘れ、仲良くひとつになるワルツを踊る光景に、人々は徐々に絶望し、そして官の権威は失墜した。違うだろうか。講演の最後に漱石が聴衆に残した『文学と教育とは決して離れないものであるのであります』というメッセージの真意は、もしこの官=権力の背後に(控えているが故に)有る権威そのものの失墜と、民=金力の背後に(控えているが故に)有る文芸そのものの退廃が同時に発生すると『ずいぶん危険な現象を呈する』と看破していたからであるとしかわたしには思えない(この点については五番目の略図を参照して下さい)。ひょっとすると、このような失墜や退廃、つまり官の民に対する、且つ又民の官に対する、漱石が自己本位と呼んだところの真の独立性、すなわち真の社会性、すなわち一つに重なって始めて互いに有り得る関係性の消滅も、洋の東西・南北の違いを超えて、ポピュリストと称される政治家たちが大量に産み出された理由のひとつなのかもしれない。こうした観点に立って、前述べた官=権力と民=金力が「仲良くひとつ」になるとは一体どういうことなのか、次の四つ目の略図を頼りに説明してみたいと思う:

ウクライナ戦争で想う漱石の恒久平和論_a0052229_23493502.jpg

その前にまた少し寄り道するが、もし2022年をウクライナ戦争で世界が目を覚まされた年であったとすると、その前年の2021年は将来どのような年として歴史家たちに記憶されるだろうか。どういうことか。ウクライナ戦争が勃発した年を【剝き出しの権力がついに「自由の翼」を得た年】と言い換えて物事を観ると、2021年は【恥知らずの金力がついに自由の翼を得た年】と言えやしまいかと、私見ながら思うのだ。この年の夏、ヴァージングループのリチャード・ブランソン氏と、アマゾンのジェフ・ベゾス氏らが「宇宙」へ旅立ち、仲間たちと共に数分間の無重力状態を楽しんだことは、皆さんの記憶にも新しいと思う。日本の実業家である前澤友作氏も仲間と共にISSに10日間ほど滞在した。秋には90歳になった『スター・トレック』のカーク船長ことウィリアム・シャトナー氏も無重力状態を体験したらしい。そんなニュースが話題になった。その当時、ああそんな時代が来ているのか、しかし... その個人宇宙旅行の燃料、かなり空気を汚すのとちがう?またそれだけの燃料があれば、一体何台の車がどれ位移動できるのかねぇ?といった生活臭い発想をする自分は、やはり人類の夢に疎いのかと自問していたわたしも、いざ2022年にウクライナ戦争が勃発してみると、権力ならぬ金力の暴走という現象が、案の定生じていたのではないかと思わざるを得なかった。話は日本に限定されるが、コロナ禍の真っ只中を、史上最高のカネを費やし、満足な経済効果を得ずに散っていき、社会に何かを刻んで終わった、とはとてもではないが言えなかった今回の東京オリンピック。「ぼったくり男爵」とアメリカのメディアから揶揄されてもお構いなしに見えたオリンピック委員会のバッハ会長などなど。貴族政治の歴史を持たないアメリカのメディアが、どれくらいの頻度で、ある特定の個人を「ぼったくり男爵」呼ばわりするのか、わたしは知らない。だが、、、

19世紀の終わりごろから、アメリカでは、というよりアメリカでも資本主義の凶暴性が猛威を振るい、いわゆる市場経済なるものの実態が、民主主義の理想に悖ることが誰の眼にも明らかになりつつあった頃、それを暴露したアメリカの作家やジャーナリストたちをマックレーカーズ(Muckrakers、すなわち糞堀り屋、転じて政財界の醜聞を暴露する人)と呼んでいた。当時、すでに多国籍化し、組織力を駆使して市場をほぼ独占し、他の参入をゆるさない巨大企業の金力が、明らかに権力のお力添えで自分たちの活動に有利な条件を整え、我が世の春を謳歌していた。そんな企業の経営者やオーナーたちを「ぼったくり男爵」と最初に呼び始めたのがマックレーカーズだった。槍玉に挙がった代表的な企業はロックフェラー、カーネギー、JPモルガンなど。だから、バッハ会長に対し「ぼったくり男爵」という不名誉な称号を贈ったアメリカのメディア(それがニューヨーク・タイムズ紙なのか、ワシントンポスト紙なのか知らないが)が、こうした歴史的な自分たちの過去に立ち返って、もしこの言葉を再び使用しているのであるとすれば、それはアメリカ社会の資本主義に対する深刻な疑義が、あの時代から100年を経たのち、再び相当なレベルに達しているのだろうな、そうわたしは思っていた。

今日では、なかなか想像することが難しいが、金力と権力の癒着の問題が、徐々に人々の目に晒されるようになった20世紀初期のアメリカ社会では、今で言う富裕層が資本主義経済圏の維持・防衛に躍起になっていた。チャップリンの映画には、時々そんな富裕層が揶揄されて登場しているのをご存じの方も多いと思う。そこで、富裕層がマックレーカーズと同じ土俵に立ち、彼らに対抗する目的で育て上げたものが広報(Public Relations) という新たな産業/手法だった。官=権力に都合の良い情報を作り上げれば、それは時にプロパガンダと呼ばれたりする。だが、民=金力に都合の良い情報は、その本質が民心を懐柔したり、くすぐるものであったりするが故に、なかなかプロパガンダとは認識されない。興味のある方はアントニー・ガルーゾ(Anthony Galluzzo)の『La fabrique du consommateur - une histoire de la société marchande』(『消費者工場-交易社会の歴史』) を参照されたい。我々がいかに巧妙に作られた情報(の心地よさ)をプロパガンダと認識せずに生きていることか!:自身の姿の隠形に、常にどこかで成功しているプロパガンダこそ「本物」と呼ぶべきであろう。プロパガンダと認識された時点で、それはもはやプロパガンダではないのだから。いずれにせよ、権力に都合の良い情報を作ろうと思えば、それはどうしても公開可能な情報の絶対量を減らす方向に動かざるを得ないのではなかろうか:焚書坑儒。これは紀元前中国の話で、皇帝に盾突く儒者の勢いを削ぐ目的で為された蛮行であったらしいが、その背後には金力を代表する勢力が恐らくいたはずである。翻って、金力に都合の良い情報を作ろうと思えば、それは権力の場合とは逆に、実はどうでもよかった情報の絶対量を増やし、本当に大事な情報を、情報の大海原に薄め溶かす方向に動かざるを得ないのではなかろうか。前者は独裁国家で有効活用され、真に大事なことは地下へもぐる。その結果、地上に【組織人の怪物】を生み出す。その典型が、暴君や独裁者、及び彼らに追従する者たちであろう。後者は民主国家で有効活用され、真に大事なことは人々の意識の埒外へ置かれる。その結果、意識の内側に【社会人の怪物】を生み出す。これを卑近な例で言えば、コロナ禍下で話題になったいわゆる自粛警察などが挙げられるだろうか。そして、インテリと呼ばれる人々が、そのように怪物化した社会人を鎮めるためにはどうすればいいのかを議論するためのメディア空間へ動員される。また、後ほど少し触れようと思っているが、ソクラテス(三つ目の略図に掲載されている)を法廷に訴え、彼を自死へと追い遣ったアテナイのソフィストたちも、どちらかと言えばこの社会人の怪物に連なるとわたしは考えている。だから、民主主義の国に生きているとされる私たちが、まず第一に注意を払わねばならないのが、恐らくこの後者の怪物たちなのだろうと思う、自分もそのうちの一人ではないかという怖れも含めて。というのも、来る五つ目の略図を見ていただければ判ると思うのだが、わたしがここで社会人の怪物と呼ぶ人たちは、他者本位に動く時点で一見社会全体に役立つように見える一方で、他者犠牲にも動く(つまり自分にも済まず他人にも済まないことは避けることが出来ていない)時点でその社会を構成する一人一人の個人は犠牲にする(あるいは一人一人の個性を没にする)というパラドックスな場所に陣取っている人たちだから:怪物たちは、それが組織人のそれであれ社会人のそれであれ、常に漱石のいう『個人』、すなわち『世界』の出現を阻むものだと思う。そして、その欠点を見破れない限り、私たちは多かれ少なかれそのような怪物たちを内にも宿し外にも抱えながら生きていかざるを得ないとも思う。


…………


本筋へ戻ろう。四つ目の略図を横目に、官=権力と民=金力が「仲良くひとつ」になる一つの形としてプロパガンダがあり、そのプロパガンダの形には、公開可能な情報の絶対量が減るハードなものと、それが無暗に増えるソフトなものがあるのではないかということを、以上の寄り道で述べてきたつもりである。この略図の中では前者を「ハードな暴力装置:権力の先祖返り」と名付け、後者を「ソフトな暴力装置:金力の先祖返り」と名付けてみた。そして、これらの装置が具現化するには歴史的な経路があり、それには大きく分けて二通りあるのではなかろうか、ということをこれから述べていこうと思う:ひとつは金力が権力に「自由の翼」を与えてしまう旧東側諸国の場合;そしてもうひとつは権力が金力に自由の翼を与えてしまう旧西側諸国の場合。何がどうすればそんなことになるのか、それをこれから説明したいのだが、また長い前置き話がある...


現代ロシアの政治やロシア史を専門にするフランスのエレーヌ・カレール=ダンコス(Hélène Carrère d'Encausse)女史が、国際政治を専門とする同じくフランスのパスカル・ボニファス(Pascal Boniface)に招かれた対談の中で、プーチンのロシアという独裁国家の下でも、その市民社会の健全性はまだまだ保たれているという趣旨の発言をしたのを記憶している。まだ戦争が始まる前だった。その際、わたしがそれは少しおかしいと思ったのは、どれだけ市民の精神状態が健全であっても、国家の体制が準独裁状態にある時、そこに「社会なるもの」は確かに存在し得ても、「市民社会」が存在することは果して可能なのか、という疑問だった。これを、これまでの文脈に沿って換言すると、「市民社会の存在」と「未だ怪物化していない社会人の存在」とを、彼女は混同していやしないかという疑問だった:組織の人は確かに怪物化してしまっているかもしれないけれども、社会の人はまだまだ健全であって、私たち西ヨーロッパの人間よりも精神の健全な人は、むしろロシア人のほうが多いのではなかろうか?という具合に。結果的に両者共々、ロシアのウクライナ侵攻はまず起こりえないであろう、プーチンもバカではないのだから云々、と完全に予測を外してしまったのだが、それはもしかすると市民社会というものが、如何に単なる社会とは質的に異なるものかを十分に弁えていなかったが故に出てきたハズレだったのではなかったろうか、と今もまた改めて思うのだ。ただ、一人は史実を扱うことが強みの専門家で、もう一人は現実を突き詰めることを強みとする専門家である。だからこれは自分たちの職業上の強みが単に裏目に出たに過ぎない話なのかもしれない。他方、フランスの「国民の教師」的な存在の一人でもあるジャック・アタリ氏が、ウクライナ戦争について、NHK(ETV特集)から受けたインタビューの中で、終わっていたと思われていた東西冷戦は、終わっているように見えて実は終わっていなかった、という趣旨の発言をしていた。そしてウクライナ戦争が、ずっと続いていた冷戦の断末魔である以上、旧西側諸国の人々も、民主化にうまく成功しなかった旧東側諸国の人々も、共に行動の変革を起こす、つまり真に冷戦を終結させる必要がある、と終わりのほうで述べていた。いずれにせよ、変革が可能な状態に社会全体が置かれていることを、仮に市民社会と呼ぶのなら、それが実に絶妙なバランスの上にしか成り立たないものであることは、これまで述べてきたことでずいぶん明らかにされてきたのではないかと思う。というのも、四つ目の略図が仄めかしているように、市民社会とは「権力の先祖返り」を許さず、「金力の先祖返り」も許さず、且つ又それらの結果であるところの「組織人の怪物」の発生も「社会人の怪物」の発生も、ことが大事(オオゴト)になる前に対処・予防できる社会のことを指すとわたしには思われるから。そして、漱石はこの変革可能な状態のことを、『文学と教育とは決して離れないものであるのであります』という文句で表現していた、とわたしは思うのである。と同時に、そのような結論を講演の一番大事な終わりに持ってこなければならないほど、当時の日本社会が曲がりなりにも醸成することに成功していた大正デモクラシーが、漱石の眼には風前の灯に映っていたのではないかとも思うのである。ちょうど今日、21世紀初頭に世界中でデモクラシーの脆弱性が明らかにされている時代を、同時進行形で生きている私たちと同じように。こうした前提に立って、四つ目の略図の説明に入ろう、今度こそ本当に。


…………


漱石の講演『私の個人主義』の分析に入る少し前辺りで、わたしは漱石をして『チカラというもの一般を、「官」である権力と「民」である金力とに代表させ、尚且つ権力も金力も所詮は道具に過ぎないのだと見抜いた』人として紹介した。ところで、漱石とほぼ同時代の人で、後のヨーロッパの知性に多大な影響を与えた人物の一人に、イタリアの思想家アントニオ・グラムシがいる。グラムシもまた、漱石と同じように、チカラというもの一般は、なにも国家の政治権力にのみ存在するものではなく、むしろ社会全体に遍在しているという考えを持つに至った思想家だった。フランスの社会学者ラズミグ・クシュヤン(Razmig Keucheyan)の著書『大脳左半球(Hémisphère gauche)』(恐らく未邦訳)がそんな指摘をしている。クシュヤンが言っていることのごく一部分を覚えている範囲内でここに意訳させていただくと:

― 冷戦後の世界には、チカラというもの一般が未だに国家権力を中心に回っていると考え、それゆえ如何にそれを奪取するべきかに知的エネルギーを費やしてきた文化圏と、チカラというもの一般は、国家権力の周囲だけでなく、社会全体に遍く存在するものであると考え、それゆえ奪取し改革すべきは権力そのものではなく、社会全体に根付いてしまっているある種の文化的シコリのようなものであり、またそこからの解放でもあるのだから、費やすべき知的エネルギーはそのシコリの解明であるとしてきた文化圏とがある。前者の文化圏においては、知識階層は必ず政党や労働組合、またそれに準ずる組織の長として活躍していたのに対し、後者の文化圏では、知識階層は大学教員などの肩書を身につけて、政治権力の機構からは一定の距離を置き、すなわち「市民社会」に籍を置き、ある時は単なる一市民、ある時は一文化人、またある時は一専門家といった立場から社会に関与してきた。(因みに、この違いに最も敏感だったのがフランスの哲学者ミシェル・フーコーだったとクシュヤンは言う) ―

第二次世界大戦後の東西冷戦期をどう定義するかは、人によって様々だろうと思う。だが、クシュヤンに倣い、東側をチカラというもの一般をもっぱら官=権力に集中させた文化圏、西側を官=権力のみならず社会全体=民(タミ/ミン)=金力にも、それが広く分布することに成功した文化圏として捉えるのも悪くないと思う:遠くマルクス思想に端を発する東側の共産圏と、金力のチカラを温存するよう努めてきた西側の資本主義圏の違いはそんな風に捉え直すこともできるかと思う。であれば、東側ではチカラのベクトルの向かう先が、どうしても「公なるもの」になり、人々の意識全般もそちらへ向かう、そして西側では逆に人々の意識全般は「私なるもの」に向かう、と仮定できるのではなかろうか。四つ目の略図では、この有様を社会の軸足が「公なるもの」と「私なるもの」のどちら側に傾いているかで表現している。

冷戦期の物資に貧しい東側諸国のことが記憶に残っているからなのか、それとも当時の「東」というよりむしろ「南」に近かった中国の貧しい人々のイメージも手伝ってなのかどうか...、わたしには分からないが、冷戦期の西側世界に特有の、私人(ワタクシビト)としての「個人」が獲得し得る富を大事にする社会体制、すなわち資本主義経済こそが最も人々の声に、その「私なるもの」の声に合致するのだという考えが固定観念になっている人々は、意外に多いのかもしれない。また東側の「計画経済」と西側の「市場経済」の違いについても、硬直した上から指示される計画性よりも、需要と供給の関係性が柔軟な市場の方が人に優しい社会を生むはずだといった固定観念で、資本主義の共産主義に対する実存的な優位性を確信している人々もまた多いのかもしれない、少なくとも今現在の日本社会においては:ただ何となくという風な思いで。しかし、本当のところはどうなのだろう。クシュヤンが別の著書『人工的に作られた需要/必要性(これも恐らく未邦訳)』(Les besoins artificiels) の中で興味深い事を言っている。その部分を要約すると次のようになる:

ー 20世紀の経済史を紐解くと、東側には「計画経済」があり、西側には「市場経済」があったなどという単純明快な事実は、存在しなかったことが判る:計画性に支えられていない資本主義経済はそもそも存在しないし、中国やユーゴスラビアの例でも分かるように、市場が社会主義の経済を支えた例もあるのだから。つまり厳密に言うと、旧東側諸国には社会主義に特有な計画性があり、旧西側諸国には資本主義に特有な計画性があり、どちらも同じ「計画」経済であったことに変わりはない。そして、その計画性は、それぞれに独特な権威主義をもたらす危険性がある。ハンガリーのアーグネス・ヘレル (Agnes Heller)が回顧していたように、実際ソビエト連邦というのは、社会主義の国でも、共産主義の国でも、国家資本主義の国でもなかった。独特な、としか言いようのない政治勢力だったのだ。ではなぜそんな独特な勢力が、政治権力を保持し続けることが出来たのかと言えば、それは他でもない、何が国民生活にとって真に必要で、何が不必要なのかの裁量を、彼らが選んだ有識者(エキスパート)たちに独占させることによってであった:『あなた方(圧倒的大多数の被支配者層)に真に必要なものを知っているのは、あなた方ではなく我々(私たち支配者層とその加護を受けたエキスパート)なのです。』という風に。斯くして、何が自分に本当に必要なのかを、他によって決めてもらうクセを身につけさせられた国民が、おのれ独自の欲望に激しく取り憑かれることはなくなり、[自分にとって真に私なるものを探求しなくなった(これはわたしの解釈)]人々の欲求(すなわち需要)は徐々にしぼんでいった:計画経済圏の敗北。だが、ソ連の崩壊と共に、この種の人民の欲望や需要に対する圧政(権威主義)も消滅したと考えるのは誤っている。何故なら、GAFAは『あなた方(圧倒的大多数の買い手・消費者層)に真に必要なものを作っている/売っているのは、あなた方ではなく我々(あなた方が欲しいものの作り手と売り手)なのです。』という、実に巧妙でソフトな権威主義に私たちを馴らしてきているのだから、もうすでにお気付きの方も今日では多いと思うが ―

この部分を読んで、漱石が『私の個人主義』で引き合いに出した、自分の好み(釣り道楽)を弟に押し付ける兄の話、また『金を誘惑の道具として、その誘惑の力で他を自分に気に入るように変化させようとする』話を思い出さないことは難しい。旧東側の「社会」主義諸国では「特権階級(ノーメンクラトゥーラ)」が自分たちに都合のいいエキスパートとタッグを組み、旧西側の「民主」主義諸国では1990年代の終わり頃から日本でも広がり始めた「有識者」が、メディアでその道の専門家として登場し始めたことを鑑みると、私たち西側の世界に生きる人間も、周回遅れで、実はソ連時代の東側諸国の人々とほぼ同じ不自由な世界を味わっているのではないかという疑いが浮上してこないだろうか。オルダス・ハクスリーの面白い言葉がある。有名で短い文章なのでここに意訳してみよう:『完璧な独裁政治がもしあるとすれば、それは民主政治の外見を持ち、刑務所なのに塀はなく、そのお陰か囚人たちの頭には脱走という文字は浮かんで来ない、そんな場所だろう:そこでは、買い物と気晴らしに時間を割くことが出来、自分たちの隷属状態をいつしか自由と履き違え、それを愛するようにさえなるのだから。』

これは耳が痛くなる言葉だ。しかし、だからこそ強調しておきたい。社会の軸足が、まず第一に真に「私なるもの」に傾くのが、一般に「社会」とか「平和」とか呼ばれているものの、とりわけ「市民社会」と呼ばれるものの本態的な姿なのだ、と。商品を通じて簡単に手に入るような「私なるもの」の空間的な誘惑を、時間的に退けることが出来るかどうかの分水嶺は、恐らくこの辺りにあるのだろう。講演『私の個人主義』の終盤に差し掛かるところで、漱石はこう述べている:

『…… 今の日本はそれほど安泰でもないでしょう。貧乏である上に、国が小さい。したがっていつどんな事が起ってくるかも知れない。そういう意味から見て吾々は国家の事を考えていなければならんのです。けれどもその日本が今が今潰れるとか滅亡の憂目にあうとかいう国柄でない以上は、そう国家国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。火事の起らない先に火事装束をつけて窮屈な思いをしながら、町内中駈け歩くのと一般であります。[……]ただもう一つご注意までに申し上げておきたいのは、国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見えることです。元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、ごまかしをやる、ペテンにかける、めちゃくちゃなものであります。だから、国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。だから国家の平穏な時には、徳義心の高い個人主義にやはり重きをおく方が、私にはどうしても当然のように思われます。……』

この『徳義心の高い個人主義』に重きをおくこと、すなわち人をして『できるだけ個人の生涯を送らるべき』ことが公に望ましいと認められるような社会の誕生が、四つ目の略図では「官」と「民」の緊張関係の構築の【一時的な成功】として示されている。先ほどクシュヤンと共に見てきたように、民(タミ)にとって真に「私なるもの」とは何なのかを「官」が民(ミン)に先んじてすでに知っている、というような社会を築いた旧東側諸国では、それは難しかったのかもしれない、少なくとも公には。そして、恐らく第二次世界大戦終結直後の西側諸国においては、民(ミン)のもつ金力が、民(タミ)にとっての「私なるもの」を賦活せんと努力し、官のもつ権力が、国家を専ら統治せんと努力し、それらの努力が相まって経済の高度成長期として結実したのかもしれない。もちろんアメリカから資金面での膨大な援助なくしてそれを語ることは出来ないが、それでもその援助をうまく生かすための素地が国内において整っていたからこそ、つまり社会が活性化されていたからこその発展だったのではなかろうか:経済成長は、社会活性化という名の氷山の一角であって、そのすべてではないと思う。ならば、官と民との緊張関係がそもそも始めから微弱にしか存在しなかった東側では、官=権力が支配的となり、支配的になった官は次に(資本)金力に触手を伸ばし、それを育て、その育った金力のチカラ添えでさらなる権力の「高み=暴走(hubris)」に到達する。すなわち【威圧して支配する形】の政治システムに化ける。同様に、官と民との緊張関係の構築に一時的には成功したものの、そのような関係がすでに崩壊している西側では、民=金力が支配的となり、支配的になった民は次に(政治)権力に触手を伸ばし、それを育て、その育った権力のチカラ添えでさらなる金力の「高み=暴走(hubris)」に到達する。すなわち【腐敗して搾取する形】の経済システムに化ける。そんな風に考えられないだろうか。一応この略図では、前者の政治システム(略図では赤色の鳥で示されている)は【官の金力志向】を媒介して発生し、後者の経済システム(略図では青色の鳥で示されている)は【民の権力志向】を媒介して発生するものと仮定している。もし、この仮定に多少なりの説得力があるとしたら、この鳥たちが不死鳥でないことをわたしは願う。


官=権力と民=金力が二つの別物であることを忘れ、「仲良くひとつ」になる話は、ひとまずここで終わりにしたい。簡略にまとめてみよう:官と民との間にあるべき緊張が消失した世界はいま、二つのチカラの暴走(hubris)に直面している。ひとつは官=権力のそれ、そしてもうひとつは民=金力のそれ。すでに風前の灯火状態にある、戦後民主主義にとどめを刺すのは、果してどちらの暴走か?治安の悪化に代表される、個々の具体的な狂気の沙汰が日々のニュースを埋めていく中、このあまりに巨大過ぎるため視野に入ってこない二つの集団的暴走=狂気を厳しく問い質す必要性に、私たちは百年の月日を経て再度迫られているのだと思う。というのも前者の小さな日常世界の狂気の数々を、後者のあまりにも巨大過ぎて視野に入ってこない狂気を度外視して解釈することが、もはや不可能になっているのではないかと個人的には疑っているからなのだ。人が狂気/犯罪に走らない自由は常にある。にもかかわらず、人を狂気へといざなう、限りなく組織、すなわち自然に近づいていく社会の歯車の罠が、むしろ維持・強化される方向に進んでいるような気がするのはわたしだけだろうか。ひょっとすると、プーチン大統領の正気という名の狂気、荒れ狂った正気は、そんな方向へ進んでいく、タナトス的とも呼べる世界の兆候がもっとも忠実に一人の人間に現れた例のひとつなのかもしれない。話が逸れ、またそのスケールも小さくなるが、わたしはそんな狂ったものが時に正しく見えるという観点から、日本政府がいま推し進めているマイナンバーカード普及作戦を眺めている:この作戦、搾取金力と化した民が、支配権力と化した官と仲良くひとつになって、国民一人一人をそれぞれが保有する「マイナンバー」の中に閉じ込める作戦なのだろうな、という風に。ちょうどプーチン大統領の言動の中にも、人の幸福は与えられた役割(番号)との自己同一に在ると考えている節があるように見受けられるように。これが杞憂であればよいのだが、やはり一言、言っておこう:マイナンバーの中に閉じ込められた私たちが、もっとも関心を持たなくなるもの、それは単刀直入に言って、我々が両親から与えてもらった「名前」であろう、と。こじ付けと言われればそれまでだが、興味深いことに、マイナンバーを語呂のいい音節で区切るとMNと表すことが出来る。一方、名前もマイネーム、つまりMNと表すことが出来る。しかし、これは似て非なる友のようなもので、その本質は互いに相反するものと見做した方が、じつは腑に落ちる:つまり真逆なのだ。あなた方のご両親が、あなたにあなたの名前を与えたのは、その名前の意味するところにあなたを閉じ込める目的で、そうなされたのだろうか?話すと長くなるから手短に済ませるが、マイナンバーカードを国民一人一人に付与することは、それがもたらす利便性の外見とは裏腹に、国民一人一人に、じつはチカラというもの一般が等しく平等に分布している事実を否定させる行為、すなわち変革が可能になるような社会の到来(つまり市民社会の到来、つまり漱石のいう『個人主義』の到来)を阻止する行為に他ならないとわたしは思っている:便利になる生活って、じつはとってもおっかねえものなのだ、ハクスリーではないけれど。少数派とはいえ、すでに多くの国民が、このマイナンバー制度をうさん臭いものと見做しているらしいから、わたしは一応安心してはいるが、この制度を国民的罠(すなわち国民を社会的に殺し、組織的に生かす罠)と呼ばず何と呼べばいいのか、わたしは知らない。(「社会」と「組織」の違いについては、三つ目の略図を参照して下さい)

社会的な名前(Name)と組織的な番号(Number)の対峙する話を出したついでに、新海誠監督の『君の名は』というアニメ映画についても思う所を少し述べてみたい。この感動的なアニメの、最も印象に残るシーンの一つに、「君の名は」という映画のタイトルが一番最後に表れる場面があったことを覚えている人も多いと思う。この最後の言葉に、私たち観客はどう答えるべきであろうか?まさか、迂闊にも『えーっと、わたしの名前は○○です』と答える人はまずいないと思う:皆と同じように、君にも名前があるけれど、それが君のすべてじゃないだろ?名前って一体何なんだ?それに付随しているように見える役割って一体何なんだ?すなわちこれまでの文脈に沿った言い方をすると、組織の人として動かされてあることに君は本当に満足しているのか?このような厳しくも心温まる【時間的揺さぶり】に観客はハッとさせられるのではなかろうか。万に一つ、もしこの映画の最後が『君の番号は』という題名で終わるシーンであったなら、興醒めること半端ないであろう。他方、押井守監督のアニメ映画『スカイクロラ』では、心こそ温まらないかもしれないが、一番最後のシーンでは【空間的揺さぶり】とでも呼ぶべき状態に観客は突き落とされる:「次はあなたの番(Turn)ですよ」というメッセージで、スクリーンの向こう側とこちら側の逆転現象を生み出しながら、この映画は幕を閉じるのだから。どちらも優れた映画で、見て損はないとわたしは思う。いずれにせよ、マイナンバー制度というのは、社会の変革を嫌がる人たちが編み出した、ということは資本主義経済を何が何でも延命させねばならないと日本で考える人たちが編み出した、苦肉の策なのではないかとわたしは疑っている。でなければ、カードを申請すれば2万円のクーポンが与えられるなどという子供騙し的な施策には打って出ないはずなのである。2万円のクーポンとは、詰まるところ、なりふり構わずということだろう。この民(タミ)を馬鹿にした行為を政府主導で行うのだから、これを官の権威が堕ちたものと見ずに、すなわち民(ミン)の言いなりになってしまっている(民(ミン)と一つになり、それを代弁しているとは思いたくないが)官として見ずにどう見ればいいのか、わたしは知らない。その犯罪のターゲットが、特定の個人に限定されるような【オレオレ詐欺】はもちろん怖い。だがごく少数の人たちの企みと、圧倒的大多数の人たちの素朴が絡み、その犯罪のターゲットが組織化する社会全体であるような【歯車の罠】はもっと怖い。どちらも人の弱さにつけ込む点では共通しているが、前者の詐欺は、犯罪グループの悪意からなる単なる罠であるため目に付きやすいが、後者の罠となるとそれはもう社会全体が徐々に全体主義へシフトすることに他ならず、その兆候を大勢の人が一致して知覚できる頃にはもう遅すぎるというのが常だからだ。ヒトがモノ化し始めつつある現下のロシア社会を見れば、それは一目瞭然であろう。社会の歯車の罠、罠に見えない罠は、他にもまだたくさんあるに違いない。そんな「罠ならぬ罠」に嵌り、昔話に出てくるような、狐に化かされ、ああいい湯だなと糞溜めに浸かるオメデタビトにならないために、私たちが最初に採るべき第一歩にはどんなものが有り得るだろうか。そんな問いに、漱石ならどんな答えを用意してくれるだろうか。


…………


重複の感がでるが、ここまでの話を手短にまとめ上げよう。本来であれば、それぞれ別の世界に棲んでいるはずの二つのチカラが、ある歴史的に異なる経路を辿り、それぞれがそれぞれの方法でいつのまにか仲良く一つに癒着し、その結果世界は二つのチカラ(権力と金力)の暴走(hubris)に直面している旨、ここまで簡略に述べてきた。鳥の絵が描かれた略図にもあるように、「権力の先祖返り」が起こる独裁制の国々と、「金力の先祖返り」が起こる民主制の国々では、現れてくる全体主義やプロパガンダの形が異なる。すでに「組織人の怪物」が跋扈するような社会を築き上げたロシア社会で進行中の全体主義は、組織に馴染めない者を物理的に排除する段階にまで成長している。対して、民主主義と言われる国々においても、全体主義という怪物は立派に育ち、そんな怪物を「民主的に」育て上げることに成功してしまった社会は、己を「組織」の集合体でしかない状態へと地盤沈下させつつある。ここに再び、先刻その存在に言及した『そもそも権力とはいったい何なのだ』という地下に潜りがちな根源的な問いに加えて、『金力とはそもそも一体何なのだ』という意識の埒外に置かれがちな問いも、前者の問いと同じように根源的であることに、私たちは気付くのではなかろうか。なぜ「根源的」と形容され得るのかと言えば、それらのチカラの影響力が、じつは私たち一人一人の行動に依存しているからに他ならないということは、漱石の講演『私の個人主義(1914年)』の中でも散々見てきたと思う。ただこの講演は、主にこれらのチカラを将来「保持する」、というかより正確には ーもう皆さんにもお分かりのようにー 「委任される」側に立つであろう人たちに向けて為された講演である。そして、1911年の長野の県会議事院で催された講演『教育と文芸』は、同県の教育関係者に対してなされたものである。ならば、同じような見地から一般の人々、すなわち圧倒的大多数の「委任する」側に現に立っている人たちに対して為され、後に有名となった講演はなかったのかと言えば、実はあるのだ:同年八月の真夏日、兵庫県の明石においてなされた講演『道楽と職業』がそれだ、とわたしは思っている。この辺りの事情は、漱石研究者でも何でもないわたしが言うのだから間違っていたら勘弁してほしい。しかし、将来社会の支配階層へ組み込まれるであろう人たちに向けて為された講演『私の個人主義』(1914年の秋)が、教育関係者、すなわち有識者階層向けの講演『教育と文芸』(1911年の春)と、被支配者階層向けの講演『道楽と職業』(1911年の夏)が済んだ後に行われた点は、留意すべきことかもしれない。いずれにせよ、兵庫県の明石で為された講演から、私たちは何かを新たに学ぶことが出来るであろうか。それをこれから見ていきたい。


…………


先刻は、その犯罪の対象が社会全体であるような「罠ならぬ罠」にハマりながらも、ア~アいい湯だなと吟じてしまうオメデタビトにならないために採るべき道にはどんなものがあるか、そんな問いに漱石ならどう答えていただろうか、という所で話を中断した。が、じつは何も100年以上も前に生きた作家にまで遡らなくとも、私たちと同時代を生きる人の中に的確な答えを提供してくれそうな人物がおられる:解剖学者の養老孟司氏である。彼が、コロナ後の日本社会を見通す目的で最近著した文章の中に、面白い一節がある:

『…… 我が国の文学は伝統的に花鳥風月を主題としてきた。当たり前だが、花鳥風月は人ではない。コロナが終わった後に国民の中に対人の仕事をするより対物の仕事をする傾向が育てばと願う。具体的には職人や一次産業従事者、あるいはいわゆる田舎暮らしである。そういうことが十分に可能であれば国=社会の将来は明るいと思う。……』

ということは、国=社会の現在は暗いということであろう:

『…… 登校拒否児が増えていると聞くが、学校教育自体が対人に偏っているからではないかと危惧する。いじめ問題の根源はそれであろう。子供たちの理想の職業がユーチューバーだというのは、対人偏向を示していないか。なにか他人が気に入るものを提供しようとする、対人の最たるものであろう。人が人のことにだけ集中する。これはほとんど社会の自家中毒というべきではないか。……』

この「人が人のことだけに集中する社会の自家中毒」とは真逆の状態が、じつは既に『道楽と職業』の中で次のように描かれている:

『…… そういう風に[…]人のお世話にならないで自分の身の回りをなるべく多く足す、また足さなければならない時代が[遠い過去には]あったものでしょう。さてその事実を極端まで辿っていくと、いっさい万事自分の生活に関した事は衣食住ともいかなる方面にせよ人のお陰を被らないで、自分だけで用を弁じておった時期が有り得るという推測になる。人間がたった一人で世の中に存在しているということは、ほとんど想像もできないかも知れないし、またそこまで論理を頼りに推詰めて考える必要もない話ですが、そこまでいかないとちょっと講話にならないから、まあそうしておくのです。すなわち誰のお世話にもならないで人間が存在していたという時代を思い浮かべてみる。例えば私がこの着物を自分で織って、この襟を自分で拵えて、総て自分だけで用を弁じて、何も人のお世話にならないという時期があったとする。また有ったとしてもよいでしょう。そういう時期が何時かあったらどうするという意味ではないが、まああると仮定して御覧なさい。そうしたらそういう時期こそ本当の独立独行という言葉の適当に使える時期じゃないでしょうか。人から月給を貰う心配もなければ朝起きて人にお早うと言わなければ機嫌が悪いという苦労もない。生活上寸毫も人の厄介にならずに暮らして行くのだから平気なものである。人にすくなくとも迷惑をかけないし、また人にいささかの恩義も受けないで済むのだから、これほど都合の好いことはない。そういう人が本当の意味で独立した人間といわなければならないでしょう。実際我々は時勢の必要上そうは行かないようなものの腹の中では人の世話にならないでどこまでも一本立でやって行きたいと思っているのだからつまりはこんな太古の人を一面には理想として生きているのである。……』

斯くして、養老孟司氏は、対人よりも対物に軸足を移した方が、人も社会も幸せになるのではなかろうかと問う。漱石も、自分に必要なものをできるだけ身の回りにあるもので済ませ、他人のことなどはあまり期待も意識もしない生活の方が、じつは桃源郷に近いのではないかという話を出す。講演『道楽と職業』の狙いは、一体どこにあったのだろうか。文明開化の下、あらゆる方面で人が人の顔色を窺い、『他人が気に入るものを提供しようとする』世の中に段々となっていく中、人は自分にとっての夢や理想、すなわち『自己本位』を如何に見失わずに生きて行くことが出来るのか、その指針を『道楽』という文字の下に提示することにあったのではないか、そんな風にわたしは思っている:1911年の『道楽』という言葉と、1914年の『自己本位』という言葉は、じつは一本の線でつながっている、と。とはいえ、明石で為されたこの講演において、道楽という言葉がどのような地位を与えられているかを知らない人に、わたしがここでいう話は恐らくちんぷんかんぷんであろうから、手短にその内容を概観してみよう。


…………


文明開化の日本にあって、社会の、少なくとも表面上の「進化」の勢いは凄まじく、職業の種類は増大の一途を辿る。にもかかわらず、長年の苦労の末やっと大学を出た天下の秀才に、理屈から云えばその数も多いはずなのだから歩けばぶつかるはずの職業がなかなか見つからない。それならいっそのこと大学に『職業学』なるものを設置してみてはどうか、そんな漱石の『空想』からこの講演は始まる:

『…… こんな考えを起すほどに私は今の日本に職業が非常にたくさんあるし、またその職業が混乱錯雑しているように思うのです。現にこの間も往来を通ったら妙な商売がありました。それは家とか土蔵を引きずって行くという商売なんだから私は驚いたのであります。[…]近頃日本でも美顔術といって顔の垢を吸出して見たり、クリームを塗抹して見たりいろいろの化粧をしてくれる専門家が出て来ましたが、ああいう商売はおそらく昔はないのでしょう。……』

実際、開化が進むにつれ、このように新たな職業がどんどん誕生し、さらにその専門性まで高くなってくると:

『…… ほとんど想像がつかないところまで細かに延びて行くのが一般の有様と言って差支えないでしょう。……』

この職種・職業の分岐先細りの進む方向を、想像に任せて反転させ過去に向かって遡らせてみたならば、きっと脳裏に浮かぶであろう情景が先ほどの太古の人間がいたとされる理想郷なのだが、事実の歴史はその逆を行く:

『…… こういうように人間が千筋も万筋もある職業線の上のただ一線しか往来しないで済むようになり、また他の線へ移る余裕がなくなるのはつまり吾人の社会的知識が狭く細く切りつめられるので、あたかも自ら好んで不具になると同じ結果だから、大きく云えば現代の文明は完全な[太古の]人間を日に日に片輪者に打崩しつつ進むのだと評しても差支えないのであります。……』

こうして、太古には完全であったと想像される人の生活の営みは、時代が下るにつれ不具のそれとなる。特に...

『…… 現今のように各自の職業が細く深くなって知識や興味の面積が日に日に狭められて行くならば、吾人は表面上社会的共同生活を営んでいるとは申しながら、その実銘々孤立して山の中に立て籠っていると一般で、隣り合わせに居を卜していながら心は天涯にかけ離れて暮らしているとでも評するよりほかに仕方がない有様に陥って来ます。これでは相互を了解する知識も同情も起りようがなく、せっかくかたまって生きていても内部の生活はむしろバラバラで何の連鎖もない。ちょうど乾涸びた糒[ホシイ]のようなもので一粒一粒に孤立しているのだから根っから面白くないでしょう。……』

確かに面白くはない。では、ここまで人と人が孤立し合う社会で、人は一体何を基に再び集い合うことが出来るようになるのだろうか。ここで始めて漱石は『文学』が持つ意義を提示する:

『…… すでに個々介立の幣が相互の知識の欠乏と同情の希薄から起ったとすれば、我々は自分の家業商売に追われて日もまた足らぬ時間しかもたない身分であるにもかかわらず、その乏しい余裕を割いて一般の人間を広く了解しまたこれに同情し得る程度に互いの暖か味を醸す法を講じなければならない。それにはこういう公会堂のようなものを作って時々講演者などを聘して知識上の啓発をはかるのも便法でありますし、またそう知的の方面ばかりでは窮屈すぎるから、いわゆる社交機関を利用して、互の歓情をつくすのも良法でありましょう。時としては方便の道具として酒や女を用いても好いくらいのものでしょう。[…しかし]本来を云うと私はそういう社交機関よりも、諸君が本業に費やす時間以外の余裕を挙げて文学書を御読みにならん事を希望するのであります。これは我が田へ水を引くような議論にも見えますが、元来文学上の書物は専門的の述作ではない、多く一般の人間に共通な点について批評なり叙述なり試みた者であるから、職業のいかんにかかわらず、階級のいかんにかかわらず赤裸々の人間を赤裸々に結びつけて、そうしてすべての他の障壁を打破する者でありますから、吾人が人間として相互に結びつくためには最も立派でまた最も幣の少ない機関だと思われるのです。……』

人と人が人間として相互に結びつくには、人の精神に訴える公会堂のような啓発機関を利用するもよし。また時には、人に夢心地を抱かせるような社交機関に頼るもよし。けれども、やはり自分としては己の専門性の中で生存競争に追いかけられる余り、『お隣の事や一軒おいたお隣の事が皆目分からなくなってしま』った人同士の間に立ち聳える壁を打破するのがその本務である文学という機関を推奨したい、こう漱石は述べるのである。と同時に、これらの『多く一般の人間に共通な点』を土台にした高尚な「結びつき」がある一方で、人と人との違いや分断を土台にした卑俗な「つながり」があることも、漱石は次のような警告めいた文章で仄めかしている:

『…… そこでネ、人のためにする[職業]という意味を間違えてはいけませんよ。人を教育するとか導くとか精神的にまた同義的に働きかけて[真に]その人のためになるという事だと解釈されるとちょっと困るのです。人のためにというのは、人の言うがままにとか、欲するがままにといういわゆる卑俗の意味で、もっと手短かに述べれば人の御機嫌を取ればというくらいの事に過ぎんのです。人にお世辞を使えばと云い変えても差支えないくらいのものです。だから御覧なさい。世の中には徳義的に観察するとずいぶん怪しからぬと思うような職業がありましょう。……』

つまり職業というものには、人がますます不具・片輪者になること、そしてそこから生じる『一般の人の弱点嗜好』をも肥やしにして成り立っている面があるのだと漱石は看破する。そして、確かにこれは道徳的に怪しからぬことではあるが、日に日に不具になって行く度合いに応じて、私たちもまたその不具を補って余りある猪突猛進的な専門性を身につけて行くわけでもあるのだから、まずはその事実に着目しなければならないでしょう、と続ける:

『…… 私はいまだかつて衣物を織ったこともなければ、靴足袋を縫ったこともないけれども、自ら縫わぬ靴足袋、あるいは自ら織らぬ衣物の代りに、新聞へ下らぬ事を書くとか、あるいはこういう所へ出て来てお話をするとかして埋め合わせをつけているのです。私ばかりじゃない、誰でもそうです。するとこの一歩専門的になるというのはほかの意味でも何でもない、すなわち自分の力に余りある所、すなわち人よりも自分が一段と抽んでている点に向かって人よりも仕事を一倍にして、その一倍の報酬に自分に不足した所を人から自分に仕向けて貰って相互の平均を保ちつつ生活を持続するという事に帰着する訳であります。それを極むずかしい形式に現わすというと、自分のためにする事はすなわち人のためにすることだという哲理をほのめかしたような文句になる。これでもまだちょっと分からないなら、それをもっと数学的に言い現わしますと、己のためにする仕事の分量は人のためにする仕事の分量と同じであるという方程式が立つのであります。人のためにする分量すなわち己のためにする分量であるから、人のためにする分量が少なければ少ないほど自分のためにはならない結果を生ずるのは自然の理であります。これに反して人のためになる仕事を余計すればするほど、それだけ己のためになるのもまた明らかな因縁であります。この関係を最も簡単にかつ明瞭に現わしているのは金ですな。つまり私が月給を拾五円なら拾五円取ると、拾五円方人のために尽しているという訳で取りも直さずその拾五円が私の人に対して為し得る仕事の分量を示す符丁になっています。[…][だから]諸君もなるべく精出して人のためにお働きになればなるほど、自分にもますます贅沢のできる余裕を御作りになると変わりはないから、なるべく人のために働く分別をなさるが宜しかろうと思う。……』

人の住む社会が、常にすでに組織の助けを必要とする以上、人はみな、商業・職業的な領域に足場を固めて生活せざるを得ない:『私ばかりじゃない、誰でもそうです。』誰もが、謂わば「持ちつ持たれつの関係」を土台にした「つながり」の中で生きている、たとえそれが卑俗なものであったとしても:「職業に貴賤なし」。そして、そのような関係を最も簡単にかつ明瞭に現わすものは金(カネ)である。だから、そんなつながりの中で生きる限り、人のためにする仕事の分量が多ければ多いほど、手元に入ってくるお金の分量が多くなるのは必然なのだ、と漱石は言う。そしてその直後である、漱石が先ほどの文言を放つのは:『……そこでネ、人のためにする[職業]という意味を間違えてはいけませんよ、云々……』。つまり、金が有効な尺度になるような「持ちつ持たれつの関係」を土台にし、『人の御機嫌をとる』ことまでをも含む「つながり」(ちなみに、「逆切れ」とか「キレる」という名で知られる昨今の不機嫌は、程度の差こそあれ、このつながりを別の面から捉えたものだとわたしは思っている)は、文学が赤裸々に描く『多く一般の人間に共通な点』を土台にした「結びつき」とは質的に全く異なるものなのだ、と。斯くして、職業以外に生活の糧を得る方法のない私たちは皆、そのような高尚な「結びつき」は一旦棚上げし、各人、己の職業は『人のためにするものだという事に、どうしても根本義を置かなければなりません。人のためにする結果が己のためになるのだから、元はどうしても他人本位である。』...のです、ということになる。ただ、この「他人本位」に徹するという事が、どれだけのストレスを人に強いるか、当然漱石もよく解っている:

『…… 元来己を捨てるということは、道徳から云えばやむをえず不徳も犯そうし、知識から云えば己の程度を下げて無知な事も云おうし、人情から云えば己の義理を低くして阿漕な仕打もしようし、趣味から云えば己の芸術眼を下げて下劣な好尚に投じようし、十中八九の場合悪い方に傾きやすいから困るのである。例えば新聞を拵えてみても、あまり下品な事は書かない方がよいと思いながら、すでに商売であれば販売の形勢から考え営業の成立するくらいには俗衆の御機嫌を取らなければ立ち行かない。要するに職業と名のつく以上は趣味でも徳義でも知識でもすべて一般社会が本尊になって自分はこの本尊の鼻息を伺って生活するのが自然の理である。……』

だがここで、一般社会の鼻息を伺って生活していては成り立たない「自己本位」な「職業」も世の中には例外的にあるのだ、と漱石は続ける:たとえば科学者、哲学者、そして芸術家など、広く学問や文芸といった領域に属している者たちは、「つながり」の方を一旦棚上げして、己を押し通すことに専心せねばならない人たちなのであり、その道楽を押し通す結果、すなわち自己本位に生きる結果が、偶然「人のため」、すなわち「職業」になるのだ、と。そして、それが人と人との「結びつき」を結果的に(En effet)生んでいるに過ぎないのだ、とも:

『…… ことに芸術家で己の無い芸術家は蝉の脱殻同然で、ほとんど役に立たない。自分に気の乗った作ができなくてただ人に迎えられたい一心でやる仕事には自己という精神が籠るはずがない。すべてが借り物になって魂の宿る余地がなくなるばかりです。[…]私が文学を職業とするのは、人のためにするすなわち己を捨てて世間の御機嫌を取り得た結果として職業をしていると見るよりは、己のためにする結果すなわち自然なる芸術的心術の発現の結果が偶然人のためになって、人の気に入っただけの報酬が物質的に自分に反響して来たのだと見るのが本当だろうと思います。[…]芸術家とか学者とかいうものは、この点においてわがままのものであるが、そのわがままなために彼らの道において成功する。他の言葉で云うと、彼らにとっては道楽すなわち本職なのである。彼らは自分の好きな時、自分の好きなものでなければ、書きもしなければ拵えもしない。至って横着な道楽者であるがすでに性質上道楽本位の職業をしているのだからやむをえないのです。そういう人をして己を捨てなければ立ち行かぬように強いたりまたは否応なしに天然を枉げさせたりするのは、まずその人を殺すと同じ結果に陥るのです。[…]私ばかりではないすべての芸術家科学者哲学者はみなそうだろうと思う。彼らは一も二もなく道楽本位に生活する人間だからである。大変わがままのようであるけれども、事実そうなのである。したがって恒産のない以上科学者でも哲学者でも政府の保護か個人の保護がなければまあ昔の禅僧ぐらいの生活を標準として暮さなければならないはずである。直接世間を相手にする芸術家に至ってはもしその述作なり製作がどこか社会の一部に反響を起して、その反響が物質的報酬となって現われて来ない以上は餓死するよりほかに仕方がない。己を枉げるという事と彼らの仕事とは全然妥協を許さない性質のものだからである。……』

つまり、己を枉げて始めて安住することが出来る、「持ちつ持たれつ」の「つながり」と、「多く一般の人間に共通な点」を自ら開拓していこうとする、個人主義(世界主義)が媒介する「結びつき」は、似ているように見えて実は全くの別物だと漱石は言うのである。実際、芸術家科学者哲学者にとっては、道楽それ自体が本職、すなわち天職(Vocation)なのである。自己本位で生きることを説いた漱石には、古くから西洋にあった召命(Vocation)という宗教色の濃い言葉を使うことは、 ―とくに将来、社会の支配階層へと組み込まれるであろう学生たちに向かって使うことはー 難しかったはずである。しかしこれは、古代ギリシアの神々を信仰せず、勝手にダイモンという名の個人的な神の声に従って生きたことで知られる哲学者ソクラテスの、こう言っては何だが、既に陣取っていたと思われる位置への漱石なりの誘いだったのではなかろうか。もっともソクラテスは自分自身の天命を、毒を飲むことによって、使命(Mission)へと傾けてしまったが:死という究極の自己犠牲の形をとって。ただ、天命であれ使命であれ、それらが歴史的に社会というものをその名にふさわしいものにする重要な機関の一部であったであろうことは、ここに強調しておきたい。この辺りのことを、三つ目の略図では漱石がソクラテスのいる「天命」へと向かう矢印で、ソクラテスが「使命」へと歩む矢印で説明している:人の一生が使命の名の下に把握できる場合でも、天命の名の下に把握できる場合でも、それが向かっている方向は常に漱石の言う『自己本位』、すなわち『個人主義』、すなわち『世界主義』ということになる。ならば、この使命という言葉は、たとえそれが自己犠牲の性質を帯びる場合であったとしても、じつはそう軽々しく使えるものではないということが判ってくる。昨今、あっちこっちで使われているけれど...。いずれにせよ、ここで漱石が強調する『そういう人をして己を捨てなければ立ち行かぬように強いたりまたは否応なしに天然を枉げさせたりするのは、まずその人を殺すと同じ結果に陥るのです』という文句は、これまでの文脈に沿った言い方をすると:そんなことをすれば、「つながり」の「社会」という組織の重みが、実はそれなしには真の社会の到来はないと言えるような人と人との「結びつき」の萌芽を圧し潰すのと同じ結果になる、と言い換えることが出来ると思う。

ここまでの要点をまた簡単にまとめてみよう。人間関係には大きく分けて二つの様式がある。一つには、お互いがお互いをますます頻繁に必要とする結果産み出される、「持ちつ持たれつ」の「つながり」を基礎に持つ「他人のため」=「自分のため」という方程式におさまる様式。そしてもうひとつには、「多く一般の人間に共通な点」すなわち「結びつき」を基礎に持つ「自分のため」が「(他)人のため」を結果する(En effet)という方程式におさまる様式。前者を本質的には自分のためなのだが「他者本位」の形をとる(とらざるを得ない)関係性;そして後者を結果的には(他)人のためになるのだが「自己本位」の形をとる(とらざるを得ない)関係性という具合に表すこともできるかもしれない。この職業風を吹かす謂わば事前にある「人のため」と、道楽風を纏う謂わば事後的にしか存在しない「人のため」の違いについては、漱石が十分注意を払うよう促していることは既に見てきた。と同時に、私たちは、先刻、独裁制の国々においても、民主制の国々においても、それぞれに特有な仕方で、社会全体が全体主義に吞まれることが可能であることを、犯罪行為に喩えて次のように説明してきた:『その犯罪のターゲットが、特定の個人に限定されるような【オレオレ詐欺】はもちろん怖い。だがごく少数の人たちの企みと、圧倒的大多数の人たちの素朴が絡み、その犯罪のターゲットが組織化する社会全体であるような【歯車の罠】はもっと怖い。どちらも人の弱さにつけ込む点では共通しているが、前者の詐欺は、犯罪グループの悪意からなる単なる罠であるため目に付きやすいが、後者の罠となるとそれはもう社会全体が徐々に全体主義へシフトすることに他ならず、その兆候を大勢の人が一致して知覚できる頃にはもう遅すぎるというのが常だからだ』と。これら二つの観点を照らし合わせてみると、『歯車の罠』は『事前にある「人のため」』を栄養素として進行するのではないか、という仮説が立てられそうだ。ならば、そんな歯車の罠、罠ならぬ罠から逃れられることは出来るのだろうか。漱石なら以下のように答えてくれていたかもしれない:


《事後的にしか存在しない「人のため」、すなわち「道楽的職業」と、事前にそれと判るような「人のため」、すなわち広く一般の人間に共通な「職業」の、一体どちらがより根源的な意味での職業なのかという問いは、絶えず反芻しておいた方がいいかもしれません。何故なら、古今東西の「犯罪者ならぬ犯罪者」は、組織的な「つながり」がそれなりの形をとって集合するだけで、社会なるもの(それが「市民社会」であれ、「国際社会」であれ)、すなわち社会的な「結びつき」が生まれると考えている節があるように見受けられるからです。しかし、当然のことながら、その名に恥じない社会、『吾人が人間として相互に結びつく』社会はそんな風にしては決して生まれないのであります!》と:


『…… 私は職業の性質やら特色についてはじめに一言を費やし、開化の趨勢上その社会に及ぼす影響を述べ、最後に職業と道楽の関係を説き、その末段に道楽的職業というような一種の変体のある事を御吹聴に及んで私などの職業がどの点まで職業でどの点までが道楽であるかを諸君に大体理会せしめたつもりであります。これでこの講演を終ります。』


…………


話が突然飛ぶことになるが、いま、ちょうどこの小論を書いている2023年の3月、社会の歯車の罠、罠に見えない罠が効果的に始動するのを阻止しようと、多くのフランス国民がかつてない規模のデモを街中で繰り広げている。フランス政府の提示する年金改革を完全なる改悪であると見做したがためである。さもあらんと思う。年金とは何か?率直かつ簡単に言えば、互いに「持ちつ持たれつの関係」を維持しながら、異なる世代が支え合う仕組みである。しかしながら、他方において、歴史的にフランスの年金システムが拠って立ってきた世界観は、さすがルソーの国だけあってか、自由平等博愛の人権に支えられた「名前」に基づくものだった。といっても、この場合の名前は人の名前ではなく、従事した職業のそれ、すなわちタイトルである。ただし、これは、ちょうどボクシングの世界王者がタイトルを賭けて戦う、という時の「タイトル」、すなわち「身分」のことを指す。この身分は当初から国家との「結びつき」が殊に強い公務員向けに用意されたものであったのだが、この国家との「結びつき」が、ある意味で贅沢な身分制度として、他の業種にも広がっていったのが、フランスの伝統的な年金制度、および社会保障制度であったと言っていい (この辺りの事を詳しく知りたい方は、フランスの社会・経済学者ベルナール・フリオ(Bernard Friot)の著作群を参照されたい)。さて、いまのフランス政府は、その身分を国家との「結びつき」から切り離し、「持ちつ持たれつ」の「つながり」だけをその基礎として置くことによって、労働生産年齢期にどれだけ「他人のため」に働いたかで、「自分のため」の分量、すなわち己の年金の支給額が査定されるシステムへと変更しようと企んでいる。いるように見える。フランス国民が激怒するのはこの姑息な企みが見えすぎるからであろうと思う:俺たちを馬鹿にしやがって!と。だからこれは単に年金の支給年齢が62歳から64歳へと上がるのが嫌だと、わがままを言って起こしているデモやストではないのだ。市民社会というものが、単なる組織の集合体に地盤沈下することを拒んでの抵抗運動、漱石が言う『個人主義』を可能ならしめる社会制度的な枠組みを護るための抵抗運動なのだろう、とわたしは思っている。今回のデモは、結果的に年金改革法案の成立阻止には失敗したようだが、いずれフランス社会の変遷ぶりを通じて、フランス人なりの答えが出てくると思う...。毎度のことながら、日本のメディアは最も大事な部分については何も触れない:完全にスルー状態なのだ(これには、いまさら驚くことでもないのだろうが、メディアが持つチカラの源泉は、何かに焦点を当ててそれを話題にする事にあるのではなく、ある大事な何かをあたかも何事でもなかったかのように扱う、このスルーする行為にあることは肝に銘じておこう)。とはいえ、日本においても、何となくではあるが、社会全体が全体主義に傾きつつあることに気付いている人たちも、少なからずいるのかもしれない。というのも... 

ロシアのウクライナ侵攻が始まった当初、メディアではプーチンを支えてきた新興財閥集団を「オリガルヒ」と呼んで紹介していた:あたかも、それが固有名詞であるかの如く。フランス語や英語にも同じ oligarchie / oligarchy という言葉があり、通常は寡頭政治や少人数支配(つまり圧倒的に少数の権力と金力の実力者たちが、残りの大多数である国民全体を支配するシステム)の意味で使われている。なのになぜ日本のメディアはこの「一般名詞」を「固有名詞」の如く使ったのだろうか。このような呼び方をすれば、自分たちのところにも、姿形こそ違えども、実は同じものがあるということがバレずに済む、とでも思ってこんな変な呼称に落ち着いたのだろうか。わたしは訝しくって仕方がなかった。とにかく、「一般名詞」が「固有名詞」に化けて紹介される御時勢なのだから、逆に「固有名詞」の典型例でもある我々一人一人の名前が、いずれ数えられる「一般名詞」に化けて紹介されるのも時間の問題になってしまうのではないか。まさかね、と思いたい。しかし万にひとつ、そうなったらたまったものではない。故にこう言いたい:たかが「マイナンバー」と侮ることなかれ。また、カードをすでに作っていようがいまいが、Number と Name が属する領域の違いだけは常に頭の片隅に留めおくようお勧めしたい。

さて、三つ目の略図でも見た道楽の領域が消える危機にある事態を、いまのフランス国民は自国の年金制度の改悪という形で味わっている、ということが以上の寄り道話からお分かり頂けたのではないかと思う。要するに、マクロン大統領が推し進めようとするフランスの年金改革は、漱石の言う道楽的職業というような一種の変体のある事』を許さなくなるのである:人と人とが専ら「つながり」で結びつき、「結びつき」でつながることが不可能、とまでは言わないにせよ、非常に困難になる類のものだろうとわたしは思っているのだ。漱石は、自分が従事する文学を「道楽的職業」と呼んだ。何故か?それがどれだけ「自分のため」の「道楽」に見えていようが、その結果が「(他)人のため」すなわち「職業」だから、このような呼称に落ち着いた。そして、この「道楽的職業」を「職業的道楽」とでも呼ぶべきもので代替しようとする社会の到来を、マクロン大統領は、自らの身と、大統領という職をもって象徴しているようにも見える:確かにそれはどこから見ても立派な「職業」にしか見えない。だが、その本質は「道楽」以外の何物でもない、という風に。でなければフランス国民の怒りの説明がつかない。しかし、このように「職」というものが「道楽」にしか見えてこない時代と、○○大統領とか○○主席などの立派な肩書で世界の耳目が集まる場所に登場し、どこから見ても「公人」にしか見えない人々の本質あるいは目的が、じつは「私人」のそれでしかない時代とが、それぞれ異なる地域において、同時進行中であるというのもまた妙な話ではなかろうか。前者は「社会人の怪物」が跋扈する時代の病態の指標として、そして後者は「組織人の怪物」が跋扈する時代の病態の指標として「役に立つ」のかもしれない。そんな観点から、これが最後となる五つ目の略図を用意してみた:


ウクライナ戦争で想う漱石の恒久平和論_a0052229_13164080.png




「文学」にも「教育」にも、それぞれの仕方で、己の中に自然主義的なものとロマン主義的なものが互いに拮抗しながら宿っている、ということを私たちは漱石と共に見てきた。この最後の略図では、教育の領域において拮抗し合う自然派とロマン派を、それぞれ「真理」と「理想」という言葉で表現し、文学の領域においては、それらは「現実」と「夢」という言葉で示してみた。この略図では、教育が本態的に真理を追究するものであるために、それと連動する文学は、その本態的に夢を追う傾向にもかかわらず、地に足をつけたものとなり、文学が本態的に夢を追求するものであるために、それと連動する教育は、その本態的に真理を追う傾向にもかかわらず、理想を追求することを忘れずに済んでいる、ということも示したつもりである。実際、教育と文学が離れてあるものではないがために、たとえば文学の領域において、人や社会は共に、現実と夢をそれぞれ別なものとして、しかし同時に追いかけることが出来るのではなかろうか。他方、同様な条件の下、学問や教育といった領域において、人や社会は共に、真理と理想も同様に、すなわち「それぞれ別なものとして、しかし同時に」追いかけることが出来る存在なのだと思う。漱石にとっては、恐らくこれが社会が社会であるための必要条件なのだろうと思う。

だから、彼の最後の言葉『文学と教育とは決して離れないものであるのであります』は、より正確には『文学と教育とは決して離れてはいけないものであり、尚且つ同じものであってもいけないのであります』となるのだと思う。この五つ目の略図では便宜上、教育を官が司るもの、文学を民が司るものとしているが、じつはその逆でも全く構わない(実際、日本の義務教育の最初のモデルとなった小学校は、民(タミ)がお金を出し合って作ったものだと聞いたことがある)。重要なことは両者が互いに別物であり、且つ又離れ合わない点にあるのだから。仮に両者が同じものである時、すなわち離れ離れになり、自分勝手の極である「自分は相手/相手も自分」状態に陥る時、一体何が起きるのか。それを四つ目の略図で表現すると、官=権力と民=金力が共に自由の翼を得るということになり、単純に言えばそれは社会が社会でなくなる、すなわち全体主義という怪物が、己が置かれている土地や時代の特性に沿った形で幅を利かすことになる。一応念のため、この全体主義という言葉の意味がピンとこない人のために、一言付け加えておこう。通常、全体主義とは国民全体が、一糸乱れぬ軍隊のように扱われ、それを構成する個人の内にその意思が生まれる余地がほとんどなくなるもの、という理解がある:例えば、ガンダムSEEDのアスラン・ザラの『この介入は俺個人の意思だ!』というセリフの類が事実上不可能になる。これも結果として現れる現象としては間違いではないが、その本質というか発端は、部分が全体であるフリが出来ることにある、というのがじつは正しい理解なのだと思う:自分自身のことを、たとえばの話、日本人、ロシア人、中国人であると自他ともに認めているという認識があるにもかかわらず、心の奥底では権力者あるいは金力者の一員であることを欲して/自任して憚らない、そんなじつは部分であるワタクシが、全体であるオオヤケを名乗る/乗っ取る資格があると思って公衆の前に立ち、逆に本来であれば天下の公衆であったはずの人々が、それぞれ日本人、ロシア人、中国人の微弱な一部分にされてしまう。これを『全体主義のあべこべ現象』とわたしは名付けたいと思っている:部分が全体を名乗り/乗っ取り、全体が部分と化すのみならず、細々と切り売りされる。このウクライナ戦争で、20万人を超えるロシアの若者たちが、軍の徴集を逃れるため、国外へ脱出した:ロシア人にされてしまう前に、逃げるが勝ちと判断したためであろう。逆に諸々の事情で、ロシア人であることがロシア人にされることでもあると気付けなかった若者は徴集に応じた。応じざるを得なかった。これは何を意味するのだろうか。少なくとも、「~であること」の健全性は、自己本位の「~になること」と他者本位の「~にされること」との緊張状態の中にあるようだ。そして、諄いようだが漱石は、この緊張状態の元を、彼自身も生涯を通じて深く関わっていた教育と文学とが『決して離れないものである』ことに見出した、というのがわたしの見立てなのである。


…………


講演『私の個人主義』で、『そんなあやふやな態度で世の中へ出てとうとう教師になったというより教師にされてしまったのです』と述懐していた漱石が没し、すでに100年以上が経つ。国家の赤紙で徴集兵にされることと、過去の個人的な体験話の中の、ひょんなことから教師にされてしまったというエピソードを同じレベルで扱ってはいけない、という反論が来そうだが、やはりそこには動員されてそうなっている、という構造は通底していると思う。以前、フランスの哲学/経済学者のフレデリック・ロルドン (Frédéric Lordon) が、世にいうソフトパワーとは、しばしば他者のチカラによって「そうされている状態」を、自らのチカラで「そうなっていること」と人々に思い込ませるチカラと定義していた。またマルクスも、小さな企業の社長(オーナー)にならんとする人たちを皮肉って、自分で自分を搾取する贅沢を持つ者たちと呼んだことがある。なぜ皮肉なのか。それは社長にされていること(皮)を、社長になっていること(肉)とオメデタくも勘違いしているから。四つ目の略図で、わたしは権力の暴走がもたらす独裁政治をハードな暴力装置として置き、金力の暴走がもたらす資本主義経済をソフトな暴力装置に喩えてみた。今となっては、この暴力装置が先ほど明らかにしてきたような意味での全体主義のことを指すのだ、ということがお分かりいただけたのではないだろうか:全体主義には大きく分けて、ロシアや中国のように「官」主導のハード(権力)版と、日本や欧米のように「民」主導のソフト(金力)版があるのだと思う。


…………


注意しなくてはならないのは、それがハードなものであれ、ソフトなものであれ、全体主義というものの本質は、常に自己都合による他者の動員にある、ということだと思う。最後に今一度、再引用になるが思い出してみよう、講演『私の個人主義』の中にある次の漱石の言葉を:

『…… 近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては豪も認めていないのです。いやしくも公平の眼を具し正義の観念を持つ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。我々は他が自己の幸福のために、己れの個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのであります。私はなぜここに妨害という字を使うかというと、あなたがたは正しく妨害し得る地位に将来立つ人が多いからです。あなたがたのうちには権力を用い得るひとがあり、また金力を用い得る人がたくさんあるからです。……』


今のロシアのように、この権力の用い方があまりにも酷い場合、特にそこで兵士として自分の命を使い捨てにされる側に立つ若者としては、国外に退避するより自分の命を守る方法がない。そして、先ほどフランスの年金改革の例で見たように、恐らく西欧や日本では、この金力の用い方が酷くなる場合、わたしたちは専ら「つながり」だけで国家と結びつき、文学が赤裸々に描く『多く一般の人間に共通な点』、すなわち人権という前代未聞の身分を介して、国家すなわち「官」および「公」と「結びつく」ことが非常に難しい社会をこれから体験することになる:これが恐らく「民」の領域でも起きているに違いないであろう「世界そのものの私物化」の実態、というか本質なのだろうとわたしは思う。




# by yoshiboite | 2023-04-12 14:19 | Philosophie | Comments(0)

新型コロナウイルス(Covid19)の勢いがなかなか止まない。

…………………


そして、いろいろな人々が「コロナ後」の世界を語っている。現在進行中の疫病であるため、コロナとは何だったのかという回顧的な本はたぶんまだ出ていない:様々な専門の方々が、それぞれの専門の切り口から、書籍やウェブサイトなどを通じて情報発信・訂正を繰り返しているのが現状だ。そのような現状をふまえて、2、3ずっと前から思っていることをここへ書き残しておこう。1市民の素朴な思いとして、誰かの参考になれば幸いだ。


…………………


皆さんもうすうす感じていることだろううが、「コロナ後」の世界を論じる際に採用されている視座には、大きく分けて2つあると思う。

・ひとつは、人類の歴史はウイルスとの戦い/共存の歴史でもあり、今回のパンデミック(人獣共通感染症の世界的大流行)は、21世紀初頭に起きてしまった不幸で偶発的な一大事【イチダイジ】であるという見方。よって、「コロナ後」は可及的速やかに「コロナ前」に戻る(らねばならぬ)であろうという見方。この見方を採用している人たちは、マスメディアをはじめ、意外に多いと思う。何故そのように思うのかと言えば、「コロナ後(ポストコロナ)」というのは実は名前だけで、実質は「コロナ前2.0」と名付けられてもいい未来社会の詳細を語っている本が意外に多いような気がするから。

・もう一つは、このパンデミックという出来事は、資本主義に罹患した人類の、他者(この他者には地球という自然も含まれる)収奪的な生存形態がもたらし得る結果の、一つの象徴的な出来事【デキゴト】であるとする見方。この見方の背景には、日本でも最近ようやく耳にするようになったアントロポセンの問題が存在する。この【アントロポセン的なデキゴト】の見方では、新型コロナウイルスの拡散を、人間界から圧迫を受けた自然/動植物菌類界が、人間界へ返した答え、その意味で人類が謙虚に受け止めねばならない結果、と見る傾向がある。

前者の【パンデミック的なイチダイジ】の見方では、新型コロナの拡散を、今ある何か(例えば、恐ろしいこと、新しいこと、期待することなど)の原因や端緒のように見做す傾向がある。たとえば、いまアジア系へのヘイトクライムが北米で急増している。新型コロナウイルスが発端となって、人々の鬱憤が溜まり、その不満や怒りのはけ口としてアジア系の人々が新たにヘイトクライム犠牲者の列へ加わったという内容の報道がなされている。その報道内容にウソはないのだろう。しかし、なぜヘイトクライムがここ数年のうちに徐々に増えてきたのかという原因までは分析していない。また、蜜を控えてとか、テレワークの普及で、これからの働き方はより快適になる等もそう。こうした呼びかけ型の報道姿勢は、いい意味でも悪い意味でも、「コロナがあるのだから(コロナが契機となって)、、、」という見方を採用している。

この前者の見方から後者のそれを眺めると、地球上の生物誕生とほぼ同時期に発生したとされるるウイルス30億年の歴史を、まったく考慮に入れていないようにも見える。だが同時に、後者の見方から前者のそれを眺めると、そのような長い歴史を考慮に入れている割には、あまりに人間中心主義的なものの見方にも見えてしまう。また、前者の、偶発性に重きを置く見方(コロナ数百年に一度の自然災害説と言い直してもいい)では、「(合理的な)説明による理解」が優先される一方、後者の象徴的な見方では「(たとえ不合理であっても)意味による納得」が優先される、と言えるのかもしれない。

合理的な「理解」を重んじるのか、不合理でも「納得」できることに重きを置くのか。この「説明→理解」を重視する派と、「意味→納得」を重視する派の、視野の方向性の違いが上述の2つの見方を分け隔てている、といってもよろしいかと思う。もちろんこれは、分析に便利な区分であって、実際にはこれらの見方が混在しているのだろう。説明だけで納得することもあるし、意味が理解されるに留まることだってあるのだから。

……………

どういう状況下で、いつ頃発言されたのかもう忘れてしまったが、菅首相が、ウイルス感染者数の増大と旅行キャンペーンとの間には『エビデンス(ここでは証拠という意味)がない』という表現を使ったのを私は記憶している。これは、前者の「説明」重視の見方をよく表していると思う。つまり、科学的で合理的な説明がなされ得ない限り、早急な判断、結論を急ぐべきではない、と。この「意味」や「納得」よりも、「説明」や「理解」を彼が重視しているように見受けられるところに、わたしは菅首相の瑕疵や性癖といったような個人的なものを見るよりも、むしろ私たちが生きている時代の特性、その味気ない人間観、殺伐とした世界の兆し【キザシ】(もしそれが既に証し【アカシ】でなければ)を見てしまう。彼はそんな世界の代弁者に過ぎないのだろう、と。とは言うものの、なぜ、私たちが生きている世界が「説明や理解」だけでは殺伐としたものとなるのか、その「説明」が必要だろう。

そもそも「説明や理解」というものは、万人をその受け手に含みならが、原則的に個人はその受け手の中には入っていない。逆に、「意味や納得」というものは、ある特定の個人が受け手に設定されており、原則的に万人はそこから疎外されている。お百姓で作家の宇根豊氏が書かれた『風景は百姓仕事がつくる』という本のなかで、「風景」と「景観」の違いに言及された箇所がある。その部分を要約すると以下のようになる:「風景」とはその光景を眺める人間の、自分自身をも含めた世界の「表情」であるのに対し、「景観」とはその光景を眺める人間が、そこにいようがいまいが成り立ってしまうものであり、誰にでもおなじに見える「表現」なのである、と。「説明や理解」が、ここで言われている「表現」と同種のものだとすると、「意味や納得」が「表情」と同種のものであるということが、多少なりともご理解いただけるであろう。『景観は人間がいなくても成り立つが、風景は人間がいないところでは、存在しない』と彼は言う。この万人を含みながらも人間を疎外するという景観的な見方が、上述のパンデミック的なイチダイジの見方と重なって見えてきてしまうのだ、私の目には。

さらに、「説明や理解」というものが、どちらかと言えば、私たち人間の脳や意識が司る【機能】であるのに対し、「意味や納得」というものが、どちらかと言えばこころや体の中に落ち着いていく【広がり】や【場所】であるということに、みなさんもお気づきかと思う。腑に落ちる。何が?意味ではありませんか?で、その結果は?納得ではありませんか?要するに、ここ数十年にわたって養老孟司氏がしつこく警告してきた、お頭(オカシラ・脳)のことしか見ず、首から下の体を切って捨て、放ったらかしにしておくという、彼の『唯脳論』が糾弾してきた社会のあり方が、ほぼ完全な形で到来しているのではなかろうか、いま、この日本社会には。もしそうであれば、コロナ禍下においても、国家の体に相当するものが国民一人一人である以上、その国民の中の社会的立場の弱い人々から、あるいは身体に何らかの問題を抱えている人々から、順次新型コロナウイルスの犠牲になってしまう装置が作動するのは、ある意味当然ではないのか。つまり人災。ここに、アントロポセン的なデキゴトの、象徴的な見方を後押しする、【振り返ってみればコロナ人災説】の根拠があると私は思う。というのも、目に見える形で存在する医療資源が一つの社会資本であるならば、ネオリベラリズムがその本質となってしまった資本主義経済もまた、より壮大な装置だと思われるから:目に見えにくい仕組みを死守しようとするから、命を差し出す結果になる。

…………………


だらだらと長くなってしまった話をもっと簡潔に表現してみよう。
コロナは天災ですか、それとも人災ですか?
それを天災に近いものの如く私たちが反応している、まさにその程度の強さにおいて人災なのではないですか?
もし、それが人災ならば、アントロポセンというキーワードで、もう一度コロナ禍という自然/社会現象を、手間ひまかけて解釈し直す必要に、私たちは迫られているのではないですか?私たちは皆、多かれ少なかれ科学や合理性(「説明」や「理解」)を盾にして、現実の直視を拒んでいるのではないですか?(ついでに言えば、日本学術会議の任命拒否問題で、科学的かつ合理的な説明を拒んできた菅政権に、感染症専門家集団のコロナ対策の科学的強制力が本当に伝わるのか、甚だ疑問です。)

………………


冒頭でも述べたように、コロナ禍をイチダイジと見做す姿勢は、ことにマスメディアに顕著に見られ、それらの多くはコロナという悪を、政府や自治体という正義の味方が手を取り合って退治するという構図を示してくれている。国によって、その正義の味方が頼りがいのあるものであったり、まったく頼りにならないものであったりする。しかし、この構図そのものの信憑性を疑ってかかることが必要だろうとわたしは思う。同時に、それは極めて難しいことだろうとも思う。なぜか。それについて思うところを述べて、今回の考察を終えよう。

…………………

おそらく、多くのマスメディアを囚えて離さない考え方は、我々が住んでいる世界は、その基盤である社会技術なしには考えることすら出来ない、というものだろう。とりわけ最先端の医療テクノロジーが今日あるのは、その基盤技術の一つでもある資本主義経済という社会システムのお陰でもある、とするものではないだろうか。つまり、経済のグローバル化に付随する形で医療技術も飛躍的に向上し、そのお陰で従来とは比較にならない速さで、たとえば様々な薬剤やワクチンなどが私たちの手元に実際届いているではないか、と今まさにそうある社会状況に適応する/させる立場に彼らの多くは徹していると思う。また国家・社会がそれなりに国家・社会なのは、私たち人類にとって必要で望ましい物資供給能力があるのかないのか、この点に尽きるのではないのか、とも。これを資本主義社会基盤説ととりあえず呼んでおこう。この立場からすれば、いままでの、そしてこれからも快適でなければならない日常生活を如何に維持していくか、コロナによる負の影響を如何に抑えていくかが最大の関心事となり、そうであれば、どうしたってコロナを今あるすべての社会現象の始まり(原因)の位置に置かざるを得なくなる。


養老孟司氏も、国家とは詰まるところ、物資供給能力に尽きるという旨のことを、昨年の『新潮』7月号に掲載された「コロナ認識論」で述べられていた。ただし、養老氏や宇根氏のものの見方と、マスメディアによって暗黙のうちに、私たちの問題意識の埒外に置かれている資本主義社会基盤説との間には、深く埋めがたい溝がある。

ご存知の通り、宮崎駿氏は『風の谷のナウシカ』でオームという巨大甲殻生物を描いている。このアニメ映画の中で、彼は『オームの怒りは大地の怒り』というセリフを風の谷の老婆、大婆さまに言わせている。『もののけ姫』では同じ種類の怒りが、森のイノシシや猿たちの口を借りて伝わってくる。農地/大地がその仕事場である宇根氏は、昔と違って今は田んぼで『生きものと眼を合わせることも少なくなりました』と言っておられる。語呂遊びのようで申し訳ないが、私たちが日頃生きている世界を、もし「この地」(コノチ)と呼ぶことができれば、資本主義社会基盤説はコノチだけの論理で世界を維持管理できると考えているフシがある。あるように見える。対して、養老氏や宇根氏の見方においては、命(イノチ)あっての大地(ダイチ)、ダイチ(自然)あってのコノチ(社会)と主張しているように思えてしまうのだ。あるTVインタビューで、ノーベル物理学賞の益川教授が、『生命とは何でしょうか?』と尋ねられた際、出した答えが印象に残っている。彼はしばらく沈黙し、こう答えた:『わかりません』。それを見たとき私は、ああ彼の頭の中では「自然」と「生命」は別物なのだな、面白いなと思ったものだった。自然/ダイチと、生命/イノチを別物と見做す考え方は、じつはベルグソンも採用している。これはつい最近発見した。『ナウシカ』に倣い、もしウイルスが跋扈する世界を「生命/イノチが怒っている世界」と表現したら、それはファンタジーにすぎると一蹴されるだろうか。「イノチの暴走をダイチが抑え込んでくれている」と表現したら、笑われるだろうか。しかし、冒頭にそのリンクを貼り付けた千葉大学の先生の話を読むとお分かりいただけると思うのだが、ウイルスとは「菌類のような生物になることをあえて選ばなかったイノチ」という見方も成立するのではなかろうか。

…………………


私たちは普段、政治的な重みを持った情報を内面化している人たちのことを「意識高い系」という呼称で呼んでいる。だが、ちょっと注意してほしい。意識には少なくとも2種類ある、ということを。一つは豊かな意識。もう一つは貧しい意識。貧しい意識が高く強い人達(変な言い方!)が、権力機構の中枢を占める状況がここ数十年にわたって続いている。だからこそ、国家のカラダである国民の一番弱い部分、すなわち弱者から切り捨てられる。コロナ禍はその惨状を、それぞれの国の状況に見合う形であらためて見せてくれた。私にはそう見える。もっとも第3波までの日本は、コロナの問題だけを取り上げれば、諸外国に比べればまだマシなのかもしれないが。


さて、『ナウシカ』のあとは、話は突然、新海誠監督のアニメ作品『天気の子』へ飛ぶ。
この、雨が降り続けて止まないという設定でストーリーが展開される映画のなかで、「青空/快晴」とは一体何を象徴しているのか、わたしはずっと気になっていた。もし、この映画の背景に設定されている異常気象をコロナ禍に見立てつつ、主人公の少年、帆高(ホダカ)が放つ『天気(青空)なんてどうだっていい!』というセリフに耳を傾けるのであれば、それは「これからも快適でなければならない日常生活を如何に維持していくか、コロナによる負の影響を如何に抑えていくか」なんてどうだっていいということになる。この映画の最後の方で、いみじくも「アントロポセン」という文字を出してくる新海誠監督は、映画の中の異常気象、そして、それによってもたらされる東京水没という事態を明らかに人災と捉えて映画を撮っている。撮っているように見える。それはつまり、彼もまた、自然災害と呼ばれる多くのデキゴトに対して、イチダイジの見方を採ることに、たとえあからさまな反対はせずとも、少なくとも批判的である、ということなのだろう。非常に軽いノリで始まり、そのノリがほぼ最後まで続くので、この映画はエンターテインメントだと錯覚してしまう観客も多いかもしれない。でも、扱っているテーマは二重の意味で重いと思う。

コロナが流行ってもう一年が経つ。その間、何度か「エッセンシャルワーカー」という言葉を耳にした人は多いと思う。この言葉がイギリスやフランスで使われ始めた時、社会をほんとうの意味で支えているのは、社会の眼から離れた場所で、しかも低給料で働いている(かされている)「縁の下の力持ちたち」なのであって、「仕事してる感」を周囲に撒き散らす「高給取りたち」なのではないという辛辣な二項対立の響きがこの言葉にはあった。それが、この言葉が日本へ輸入されるやいなや、なぜかこの二項対立の辛辣に満ちた緊張は薄れ、「私たちが生活するために必要不可欠な生活/社会インフラ全般に従事してくれている人たち」という、何とものっぺらぼうな意味合いに変質してしまっていた。この言葉が当初持っていた意味の響きに気付いている日本人が、一体どれほどいることやら。さて、『天気の子』では、もうひとりの主人公の少女、陽菜(ヒナ)が人知れず人柱として天に召されていく。このシーンが印象に残った観客も多かったのではないか。驚かれるかもしれないが、いま、もし彼女が、スクリーンの向こう側からこちら側の世界へやって来ていたら、このエッセンシャルワーカーの一人であった可能性が高い。映画の中で『晴れ女』の役を引き受けた彼女は、まさにその人がいなければ我々の日常に晴れが来ない、そういう人だったのだから。実際この映画が、陽菜が都心の病院に入院中の自分の母親を看病するシーンから始まるのは、とても象徴的である。逆に言うと、いま耳にする「エッセンシャルワーカー」とは、じつは私たちの実世界における人柱かもしれないのである。これが1つ目の意味の重さ。2つ目の意味の重さは、この映画のキャッチコピーにもある、「世界の秘密」とは、この人柱になった者にしかわからないという、いわば隠れたテーマにある。忘れてしまった人のために、ここにその全文を引用すると:「これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語だ」。映画の中では、この秘密が、ある夏に起きた、世界の形を自分たちの力で変えてしまった経験の、夢のようで夢でない「デキゴト」として徐々に展開されていく。

さて、ここで話は振り出しに戻る。この映画では「東京水没」と「止まない雨」がずっと続いていることになっているが、実際の私たちの世界では「コロナ禍」が続いている。このコロナ禍の見方として、一般的には不幸で偶発的な【イチダイジ】として対処するのが妥当なのだと思う。しかし、夢のようで夢でないアントロポセン的な【デキゴト】の見方の方が、自然や人類も含めた生きもの全般に対する謙虚さや畏敬の念を取り戻す捷径のような気がする。










# by yoshiboite | 2021-04-25 19:08 | 時事 | Comments(0)

昨日の夕方、散歩からの帰り道、体の弱っているひとりの老女を自宅近くで見かけた。服装の様子、またひどくやせ細っている身体つきから、家の中でちゃんとした食事や暖がとれていないらしいことは明らかだった。彼女の不安そうな顔の表情が、その後しばらく私の目に焼き付いて仕方がなかった。

日本ではいま、スマホがようやく主要国レベルの安さに近づく云々でメディアが騒いでいる。
本当にそうだろうか?5分間かけ放題というのは、頭の片隅で常に数えることをひとに強要する。
数えることを人に強要するような国が豊かであると言えるのだろうか?

スマホの普及で人と人とのつながりは、結局のところ希薄になったと私は思う。
生活が便利になる一方で、人と人との絆が豊かになるなんてことはまずありえない、どう考えてみても。

5Gの普及を機に、世界が全面的にデジタル化することで、これから何がどう変わるのか、すこし恐怖をおぼえる。
実際、私だけではないと思う:Martin Rothのアルバム「An Analog Guy in a Digital World」の中に収められている【More amor por favor(より多くの愛を、お願いだから)】という曲を最近偶然発見した。このアルバムのタイトルにある「アナログガイ」ってどのような意味で使われているのだろうか?


……………

いま、コロナ、コロナと、人々に危険を回避するよう呼びかけているメディアは、その「呼びかけ」という行為自体だけをぬき取れば、大いに人々のつながりを強化する方向に向かっている。しかし、その呼びかけの「出自」をよく吟味すると、相手を、つまり私たち視聴者を、同じ人間として見做す「絆の関係」の輪で包もうとしているのではなく、『そうするのが最低限の礼儀なのではなかろうか』と、他人を(場合によっては上から見下ろしてしまう危険性をはらむ)いわば「義務の関係」の輪で包もうとしているように思える。


いま、世界が必要としている繋がりは、おそらく絆の関係、及びそれに伴う「信頼」を醸成するものの方であって、義務の関係、及びそれに伴う「信用」を醸成するものの方ではないだろうと思う。前者から生じる「我々」は基本的には「永遠のもの」であり、後者のそれは基本的には「その場限りの」ものに過ぎないのだから。

Luigi Rubino の曲のなかにBehind the cloudsというバッハ色の強い曲があるが、そのビデオクリップの中に、後ろ向きで前進する車たちの間を縫って前向きに走る勇猛な青年を観ることができる。後ろ向きで前進する限り、どれほどの情報やデータを持ち合わせていても、危機は回避できない。いままさに日本政府が陥っているのがこの状態。菅首相が、専門家の意見に従い、その「従い具合」をメディアが流してくれている。

で、ここでコーヒーを一杯淹れながら思ってしまうのだ。アベ政治の特徴は学者の意見にまったく耳を傾けなかったことではなかったか、と。そして、その政治を強化型で引き継いでいるように見えるスガ政治が、どうして感染症対策分科会の意向に耳を傾けられるのだろうか、と。


社会を、その場限りの論理だけで、すなわち信用のちからだけで、すなわち義務のちからだけで回そうとする限り、昨日の夕方わたしが経験したような悲しい出会いは、これからも増えるだろう。絆の輪を義務の輪で代替できると私たちが思っている限り。

ちなみに、上述のビデオクリップの中で、何故勇猛な青年が走り終わった最後に「巨人」として描かれているのか、とても興味深い仕上がりになっている。時間のある方はどうぞご堪能あれ。




前の記事でも述べましたが、いま、まだベルグソン哲学と奮闘中です。
上述の「義務の輪」と「絆の輪」という語彙は、彼の『宗教道徳二源泉』を読み勧めていく中で、宗教と道徳が質的に対立するものであることを学び、そこからヒントを得て頭に浮かんだアイディアです。また、André Compte-Sponville が彼の最近の講演の中で、「連帯性」と「寛容性」の質的な違いについて述べています。
この両者の主張するところを私なりにブレンドして手短な記事に仕上げてみました。
分かりにくかったら申し訳ありません。信用と信頼の違いなどについて、説明不足を挙げたらきりがないから…

2020年もあと僅か。わたしはジャズなどを聴きながら年末を過ごす予定です。







# by yoshiboite | 2020-12-27 15:00 | 徒歩散歩 | Comments(0)

惰性と知性と品性と

最近よく耳にすることが多い、「知性」という言葉。

皆さんもお気づきかと思うが、日本社会にはびこっているとされる「反知性主義」を吟味するような本がたくさん出ている。その多くは、わたくしなりに平成時代を総括すると~というような形で始まっていることが多い。

長い間、この知性(intelligence)という言葉は、私にとってはクセモノのようなものに感じられてきた。
実際、人とあって話をする際も、ほとんど口から出たためしがなかったのではなかろうか。
(しかも、いまやCovid-19のおかげで、人と真に出会って話す機会など殆どないが…)


それが、つい先日、ベルグソンの本を読んでいた際、ああ、日本語で「知性」と呼ばれているものは、「惰性」と「品性」のちょうど中間に位置するものだとみなすと、「知性」という言葉がより身近に感じられるのではないかと思った。今回はそれについて書き残しておこう。


さて、わたしは日本語の単語をフランス語へ変換する癖が身についてしまっている。
なので、早速これら3つの言葉を英語なりフランス語なりに訳すと:

惰性:automatisme
知性:intelligence
品性:grâce・excellence

という風になる。


もっとも、このように人や社会の有様を3つのタイプに分ける手法は、古来からしばしば用いられてきているので、この3つの言葉を同一平面上に置くことに驚かれる方はそれほど多くはないかもしれない。ただ、いきなり「社会から知性がなくなりつつある」と言われても、市井の多くの人々にとっては具体的にはそれがどういうことなのか解りにくいのではなかろうか。

さて、毎度毎度話は飛ぶが、、、
小津安二郎の映画『小早川家の秋』の中で、原節子が岡田茉莉子に結婚相手の選択の要諦を伝授するシーンで言うセリフがあるのをご存知であろうか:

「その人が結婚前に少しくらい品行が悪くてもそう気にならないと思うけど、品性の悪い人だけはごめんだわ。品行は直せても、品性は治らないもの」

ここで、直すことのできる品行は惰性で身についたもの。
そして、『治らない品性』の品性とは、そもそも知性が有機的につながりあって活かされて初めて出現するものであると仮定してみよう。すると、その品性自体が欠如しているものなのだから直しようがない、ということになる。

ないものをどうやって治せというのか…?



で、ここからが、私が勝手に考えていること:

日本で、知性という言葉が肥大化されて使用されることの多い昨今、問題にすべきは、この原節子の口から聞かされる『品性は治らないもの』のほうではないのだろうか?というのも、「知性」を(合)理性が到達しうる最高のものと見なすこと自体、その上位概念であるかもしれない「品性」の欠如に鈍感であるということの証左であるのかもしれず、そのこと自体が今の社会の有り様を象徴しているのかもしれないから。(折しも、アメリカ史上もっとも品がないと言われた大統領が、いま太平洋の向こう側で退場しつつある。)

ただ、日本語で「品」や「気品」という言葉は、下手をすると反民主的な響きを持つ場合があると思う。悪く言えば、エリート意識で自分のこころをガードする、百害あって一利なしの「品」に成り下がりかねない。礼儀作法だけで品が磨かれるのであれば苦労はしない:皆、なんの苦労もなく品のある人間になっている。

社会から品性が消えてなくなってしまうことを最初に危惧したのは、フランスのスタール夫人やトクヴィルだろう。最近読んだ、Bertrand Buffonの「低俗性と現代」(Vulgarité et Modernité)でも現代社会が、民主主義というひとつの理想を実現しようとしていくなかで、その本来目指していた方角から離れた方向へとズレにズレて、社会に低俗さが氾濫し、その結果実際に社会から気品が消えてきた事実を、例を挙げながら見事な分析をしている。




さて、今回はあまり纏まった記事にはなりませんでしたが、原節子さんの言う『品行は直せても品性は治らない』という(本当は小津安二郎の)セリフは、『知性の劣化』と呼ばれているものを食い止める鍵となるかもしれませんね。また「知性」と呼ばれているものを、その下位概念である(と私が思っている)「惰性」と、上位概念である「品性」と関連させ合いながら、考えてみるのも面白いかもしれないです。






# by yoshiboite | 2020-11-07 15:18 | 閑話 | Comments(0)


畏友ベルナール・スティグレール (Bernard Stiegler) と初めて出会ったのは2003年の晩秋の頃だったろうか。

パリのポンピドゥー・センターのすぐそばにある、フランス国立音響音楽研究所(Ircam)のコンサートホールで、若手作曲家たちの新曲披露会、すなわちCréationへ招いてくれた友人の作曲家Jean-Luc Hervéと彼の奥さんVéroniqueが、コンサートが終わったあと、すぐ上の別の大広間でカクテルパーティーが開かれる予定だから、君も一緒に来ないかと声をかけてくれ、中へ一緒に入ってみると、そこに偶然足を運んでいたスティグレールにJean-Lucが気づき、わたしに彼を紹介してくれたのだった。

何故、彼が私をBernard Stieglerに引き合わせてくれる気になってくれたのかといえば、思うに、その数年前から私がJean-Lucの家へ招かれるたびに、フランスにはStieglerという面白い哲学者がいるのだ、とても参考になるのだ、などとその場に招かれていた人々に時々話しかけていたのを彼が覚えていてくれたからだった。作曲家としてIrcamにも在籍していた彼は、当時そこの所長であったStieglerと面識があったので、立食パーティーという偶然を利用して、その場にいた彼をわたしに紹介してくれたのだった。

……………

Jean-Luc を介して自己紹介を済ませたのち、一番最初に口を突いて出てきた言葉はこんな感じだった:
「J'aime vos livres.」 (わたしは貴方のお書きになった本が好きです。)
「Merci」(ありがとう)
これが、わたしたちの最初の言葉のやりとりだったと思う。

そのあとは、なにを話したかいまはもうよく覚えていない。ただ、彼が東京大学のことをトーダイと呼び、日本のことは多少なりとも知っている素振りをみせてくれたことが端緒となって、話はいつの間にかマラルメのことに及び、その際「マラルメについて書かれた本は全て読んだけれども、どれもこれも私には心から同意できるものがない」というような内容を、わたしも含めてその周囲にいた人々に淡々と、しかし熱心に語ってくれたのをよく覚えている。また、自分が従事している哲学的思索・考察の推敲という行為は、その表現形態の繊細性において、周囲にいた作曲家たちが従事している作曲行為という営みにはなかなか及ばない、という旨のことを謙遜して仰ってもいた。
この新曲披露のコンサートに来ていた観客約400人のうち、7割以上は現代音楽の作曲家たちだった。

今になって思い出せば、このパーティーでの出会いがきっかけとなって、そしてさらに上智大学時代の故メランベルジェ先生からの貴重な情報や助言のおかげで、彼の講演やセミナーに足繁く通う時代が始まったのだった。

それ以来、彼の活動をごく近くから支援していた歴戦の研究者たちの集まりを除けば、小さな会合から規模の大きな集会まで、スティグレールが公の場に出向くところにはほぼ毎回顔を出すようになっていった。のちに、政治学の論文が、哲学の論文に変質してしまっていると当時の指導教官を仰天させてしまった遠因のひとつは、恐らくちょうどこの辺りに遡るのだろう… 

…………

2010年の春頃だったろうか、パリの南のとある郊外の田舎町で、夜に行われた講演会の後、「君は、わたしの話すことにはもういい加減飽きてしまっているだろう?」と彼が少し照れながら言うので、「いえいえ、そんな事は全然ありません。毎回新しい発見がありますよ」と少しムキになって返答したのだが、このときのわたしの直球的な返答が、かえって彼のその場の精神的な疲れを増幅させてしまったのではないかと、あとになって反省したことを覚えている。というのも、この夜の講演会の聴衆には彼も多少手を焼いていたように見受けられ、自分の言いたいことが一部の聴衆になかなか伝わらないもどかしさが、彼の口調のトーンから、列の後ろの方に座っていたわたしにもよく伝わってきたから。思えば、この夜の会合が、フランスで彼と言葉を交わした最後の夜だったと思う。

結局、彼と最後に再会できたのは2014年の5月に、東大の駒場キャンパスで、石田英敬先生が主催した記号学会のシンポジウムに、彼も論壇者の一人として呼ばれた時だった。このときの嬉しさは、数年にわたる音信不在を不思議なほどすぐにかき消してくれたのを覚えている。シンポジウムのあとで、実家の母親の病状がなかなか改善しない旨を報告し、それでも自分の世話でなんとか持ちこたえてくれているといったような身の回りの近況報告をしたとき、「それがいちばん大事なことだ」と理解を示してくれたこともよく覚えている。


その彼が、突然この夏、8月6日に世を去った。7日付けのPaul Jorion氏のYoutubeでその一報を知らされた。

ほんとうに信じられない。つい2ヶ月ほど前にJorion氏のビデオインタビューで、彼の陽に焼けた元気そうな顔をYoutubeで見たばかりだったから。


しかし一昨日、9日付の日刊紙ル・モンドの訃報欄に、また同日付リベラシオン紙にも、大きく掲載された彼の写真を認め、その哲学的な遺産の「これから」が示唆された記事を再び読み返したわたしは、知(Savoir)という言葉が持っている真の可能性を探求する姿勢において、他の同時代人の誰の追随をも許さなかった彼の生というものが、やはり本当に「ここまで」なのだ、と痛感せざるを得なかった。

その時からちょうど10日経った今もまだ、わたしはこの痛みの中にいる。不世出の哲学者の友人がひとりいなくなるとはこういうことかと感じている。

…………


「我々に残された時間はもう少ない。」
これが最近の彼の口癖だったように思う。21世紀に登場すべき新しい経済のカタチは、家というもの(それが国家のイエであれ、普通の一般家庭のイエであれ、果ては地球という大船のイエであれ)の全体知の刷新に貢献する仕事、すなわちオイコノミアという言葉に真にふさわしい経済であって、時間と労力を売って札束を買う仕事ではもはやない。このまま、フォードTに代表された20世紀型の経済を継続させていけば、地球は3世代を待たずして破綻する。今まで見たこともなかった規模の山火事や豪雨災害に、干ばつによる農作物被害。加速する生物多様性の減退。真と偽が、絶えず入れ替わることが可能になったポスト真理時代における、情報(インフォメーション)の価値の減退がもたらしたトランプ劇場。ここに、アントロポセンが、エントロピー増大の法則に則ってエントロポセンとなり、トランポセーヌ(トランプ劇場)はこの数多あるエントロポセン現象の一つに過ぎない。だから、もっと酷い別の形で、私達がエントロポセンを目の当たりにすることだってあり得るのだ。その意味において、それが内戦であれ外戦であれ、大規模な戦争は、このままの経済のカタチが継続する限り、いつどこで起きてももうおかしくない。彼の近年の警告を簡略に要約することが許されるならば、こんな風になるだろうか。

だから、【その言葉の真の意味において仕事をしている人間】とは、労働力を単に提供するような、何かと何かを交換するような人間ではなく、常に交換行為を超越した場から全体を見渡し、その全体をより価値の高いものへと刷新しようとする【勇気のある人間】のことを指すのだ、その例がサッカーであればジダン。ジダンと出会った事がある彼も、自分が選んだ哲学という分野で、できる限り同じことをしようと試しているのだと、そんな内容のことも述べていた。

全くその通りだと思う。

…………………


Cher Bernard、わたしも、そのような勇気のある人間に、これからでもなれますよう、天国から見守っていてくださいね。
遅すぎた手紙で、まったく申し訳ない!

yoshi akashi
(明石義弘)

親愛なる同志 Bernard Stiegler を偲んで_a0052229_00165384.png
© Libération



# by yoshiboite | 2020-08-18 02:45 | Comments(0)